なんの資格も取らないまま、入社して一年が経った。
曇った2年目である。
なんの資格も必要のない職業に就いているのではない。
資格を取ってスキルと知識を身につけた方がいい仕事をしている。
むしろIT系の仕事だから、資格を取ることは推奨されている(取れ、と入社式で言われた気もする)。
本社で研修しているときから基本情報技術者などの国家資格の勉強をしている人はいたし、入社前に資格を取っている人もいた。
大学のサークルの同期で同じIT系の職に進んだ人も、一年目中に資格を取ったみたいだ。
そんな状況を傍目に、私はまったく焦ることなく、教科書を買っただけでそれを放置して、いっさいなんの勉強もしていない。
会社の先輩たちにもそろそろ資格取ってみたらどうだ、ITパスポートなんて簡単だからすぐ取れるよ。大学出てんでしょ?なんて言われて、無性に腹が立ち、絶対に取るもんかと内心ぬいぐるみを刺し殺して髪の毛を毟っている。
取れ、と言われると、絶対に取りたくなくなる。お勉強は嫌いだ。ずっと寝ていたい。空の美しさを忘れないでいたい。蕎麦を打ちたい。
この男、向上心がないのか?
ない。
若くして名を虎榜(こぼう)に連ねて立身出生したいとも思わない。永久に賤吏(せんり)に甘んじていたい。
私が大学を出たのは良い企業に入るためじゃない。なんとなく大学に行きたくて、どうせ行くならちょっと名の知れたとこに行きたかったからだ。そんで、文学の勉強をしたかったからだ。心理学とか歴史学の勉強もしたかったからだ。好きなことを好きなだけ勉強できる娯楽に身を投じていたかったからだ。
そういう精神性を会社の誰に説明しても理解してもらえない。
多くの人にとって大学は就職予備校であり、勉強は苦役であり、文学は金にもならないマヌケのやる遅れた学問なのだろう。
大学を就職予備校化した国の施策を許さないし、甘んじて就職予備校に成り下がった大学組織を恥じる。はっきり言ってクソだ。トイレに流したら詰まって下水管が破裂するくらいのクソだ。水にも流せない。
金にならなかったら意味も価値もない。そんな価値観で生きている人間の貧相なことよ。実際、貧乏人なのだろう。人も国も貧困だ。
話が逸れてしまった。憎悪をぶちまけてしまった。
なにが言いたいかというと、私は自分がやりたい勉強は好きだけど、受験勉強のようなやりたくもない興味もない勉強をすることは大の苦手で(現に浪人したし良い成績を取れたことなんか一度もない)、要するにやりたくもない資格の勉強に重い腰が上がらないのだ。
ためしにテキストを読んでみると、頭がガンガンしてくる。自分で壁に頭を打ちつけていたせいでもある。
受験勉強の記憶が蘇り吐き気を催す。吐き気、開催されないでください。
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だけど、もっと現実的になってみよう。
資格の勉強をするべき時がきたのかもしれない。
私が身を投じているのは娯楽的学問の世界ではなく、自分の力でお金を稼いで生きていかねばならない、社会そのものなのだ。資本主義こそが正義なのだ。私が生きている社会はギリギリの貧乏な資本主義社会なのだ。
将来のことも見据えて、将来の大切な人のためにも今からがんばらなきゃいけないなぁと思う。
とりあえず今日のところは、「がんばらなきゃいけないなぁ」と思ったところで良しとする。