蟻は今日も迷路を作って

真面目な話からそうでない話まで。本当の話から嘘の話まで。蟻迷路(ありめいろ)という人が書いてます。

一途と呼んでちょうだい

  ルチタスクを抱えるのが苦手で、いくつかのことを同時進行でやるというのは至難の業だと思うし、仕事のできる人はそうやって同時進行でいくつも仕事をこなして、効率的に時間を使うので、いつかモノにしたいなと思う。

 

 私は昔から同時進行というものができず、ひとつのやることがあったらそれのみに没頭して他のことを疎かにしてしまうタイプだった。

 しかも、その「やること」が必ずしも「やるべきこと」というわけではなく、「私が好きなもの」であるので、タチが悪い。

 そして「やりたくないこと」は全力でやらないので、まったく没頭できずに他のこと(例えばマンガやゲームやマスターベーションや図画工作、思索)に走ってしまう。

 あかんではないか。

 私はこの不器用さで浪人したところがあるし、いくつかの破滅を迎えたのだ。

 不器用というか、怠惰だ。

 

 なんかその、「やっていること」を一から百まで終わらせないと気が済まず、同時進行で他のことをやろうとしても頭の中にタスクの小人がわちゃわちゃ踊っているような散逸とした気分になり、「やっぱりあれを終わらせないと、次は始まらない」と心に決めてしまって、いてもたってもいられなくなる。

 学生時代はそれでもよかったのだけど、仕事をするようになってからやはりどうしても同時進行でなにかをやらねばならず、頭のスイッチの切り替えがうまくいかなくてミスをしたり雑になったり、ストレスが溜まる。

 あと、ずっと一か所に座ってられないので、ときどき尻から「力」を噴射して空を飛びたくなる。

 

 このようなことは、あるいは一種の発達障害ADHDとして認識せられるのだろうが、私の場合はそこまでじゃない。障害と言われるほど立派なものではなく、単に怠惰で不器用で意志薄弱な、凡人以下なのである。

 言っとくが、こういうなんでもないのに凡人以下というのが、いちばんキツい。

 

 小説を読んでいても私は「ひとつのことしかできない」ので、たとえば電車に乗るときは文庫本を読んで、家ではハードカバーのものを読んで、寝る前は雑誌をめくる、などといった器用なことはできない。

 その小説を読み終わるまで、他の小説には手を出せない。

 「書く」場合もそうで、ひとつの話を書き終わるまで、他の小説を書くことはできない。

 私の頭の中のスイッチ回路はポイント切り替え機能がなく、ONかOFFしかないようだ。

 

  ↓

 

 コンピュータはすごいよなぁとつくづく思う。

 一秒間に100万回以上の電気信号の点滅パターンを行い、演算処理と情報処理を実行する。だからYouTubeで音楽を聴きながらブログを書くということが同じパソコン上で出来るし、さらに内部では時刻を刻んだり保存したりあらゆるタスクをまったく同時進行しているかのように振舞えるのだ。

 とんでもないことである。

 仏教の言葉で「刹那(せつな)」というものがある。「刹那」はあまりにも小さい時間の単位のことで、それは75分の1秒と定められている。

 人間が作ったコンピュータは、その仏の定めた小さな時間をゆうに超越しているのだ。ものすごいことだ。

 

 

 人間はコンピュータのようにはなれないから(だからこそコンピュータを作ったのだ)、せめてタスク管理をしてスケジュールに間に合うように仕事をすすめねばならないが、私にはそれすらもむつかしい。

 なぜなら、ひとつのことに対して一途だから。

 

 同じように女にも一途で、それは刹那の感情ではない。うるせぇかも。