蟻は今日も迷路を作って

くだくだ考えては出口のない迷路に陥っている

あのアイスクリーム屋さん

  事中なんの前触れもなく、昔近所に来ていたアイスクリーム屋さんのことを思い出して、泣きたくなった。なんて美しいのだろう。

 

    アイスクリーム屋さんが近所に来ていたころ、私たち家族は4人でアパートみたいな小さな家に暮らしていて、まだ犬はいなくて、家には父がいて、隣には売れない画家が住んでいた。私は幼稚園生だった。

    アイスクリーム屋さんは金曜日の夜、トランクを改造して店とした大きなトラックで近所の小さな駐車場にやって来て、アイスクリームを売っていた。

    人びとがワイワイ集まってきて、みんなして並ぶのだ。トラックは閑静な住宅街の夜の中で、メリーゴーランドみたいに光り輝いていていた。

    

    アイスクリーム屋さんのキッチンには大きなゴム手袋がぶら下がっていた。どよんとぶら下がっていたそれが、なんだか無性に怖かったことを覚えている。それを見た幼い私は一度くらい泣いたかもしれない。

    おばけの手。そう呼んでいた。

    アイスクリーム屋さんを見たいけど、アイスクリーム屋さんには おばけの手がある。あの手に捕まったら、たぶんお母さんと引き離されて知らないところへ連れて行かれるのだろう。そう思っていた。

    怖かったけど遠くから観察していれば大丈夫なので(お母さんと手を繋いでいるとより安心である)、母の陰に隠れてちらちら おばけの手を見ていた。

    恐怖の対象ではあったけど、だからこそ、その観察はエキサイティングでもあったのだ。それはちょうど私たちがジェットコースターに乗ったりサファリパークで肉食動物を真近に観察しようとするのと同じことである。

 

    幼少期のかすかな記憶、そのうちのアイスクリーム屋さんについて覚えていることは、メリーゴーランド的な灯りと、その おばけの手だけだ。

    そこのアイスクリームを食べた記憶はまったく無い。

    どうして親はアイスクリームを食べさせてくれなかったのだろう?

    虫歯になるから?冷えて腹を壊すから?わからない、私がわざわざ食べたいと言わなかったのかもしれない。

    確証のない記憶だけど、両親が「あそこのアイスは高いわりにそんなに美味しくないからダメ」と言っていた気もする。あるいは化学食品に過敏だった父が「そんなもの食べてはならん」と言ったのかもしれない。

    本当のところは覚えていないけれど、もしも食べたことがあったのなら、その幸福的な味わいを覚えていたかった。

 

    アイスクリーム屋さんは幸福の象徴として、私の記憶にちゃんと残っている。

    だけど母に抱きかかえられアイスクリーム屋さんを見つめていた幼い私はまだ、幸福とは何かを知らなかった。

 

    あのアイスクリーム屋さんはどうしただろう。

    ある日突然来なくなってしまって以来、私も執着しなくなったし、その後私たちは画家の隣の家から引越し、犬と暮らすことになり、父は家を出て行った。

    あのアイスクリーム屋さんはどうしただろう。

    こうして時々、あの夜の光景を思い出しては、涙が出るほど温かく優しい気持ちになれる。

    幸福とはそういうものだと、 今になって知った。