もう5、6年前だろうか。牛丼屋で食事をしていたある夜のことだ。
19時くらいの牛丼屋はそれなりに混雑していた。
「チーズ牛丼一丁」とか「並、たまご」とか「味噌汁きてないぞ!」とか「カエのしょうがください」とか「オレンジジュースをこぼした」とか「ちゃんと座りなさい!」とか、店員も客も好き放題に言いたいことを言って、店内は喧騒渦巻いてほとんどカオスな状況だった。
牛丼屋で働くというのは、数ある飲食店の中でも過酷な部類に入ると思う。「牛丼屋で2年バイトしてました」なんて就活でいえると、それなりに評価をもらえるのではないだろうか。
ほう、牛丼屋で2年も。こいつは根性あるな。それなりに要領もよいのだろうな。
なんて。ちゃんとした経営者というのはそういうところを見てくれているもんだ。
店員さん、がんばれ!そんな気持ちでネギ玉牛丼を待っていたところ、後期高齢者らしいの夫婦が、牛歩の足取りで入店してきた。
旦那さんは人間というよりも古木が意思を持っていると表現したほうがより正確なかんじの佇まいで、奥さんのほうは虚な目をきょろきょろとそこらに這わせて半開きの口からいまにも涎が垂れてきそう。
二人は仲睦まじく手を繋いでいたのだが、この喧騒と生命力に溢れた店内においては不釣り合い甚だしく、まるで道を間違えてひょんなことから牛丼屋に迷い込んでしまったみたいだった。この夫婦に牛丼を出すというのは、牛に琴を聴かせるようなものではなかろうか。
しかし店員さんは、いらっしゃいませ!テーブル席にどうぞ!とエネルギッシュに、二人がけの席へ案内をした。来る者は拒まないし、来たからには牛丼を食わせる。キッチンの奥にそんな標語が掛けられているのかもしれない。
夫婦は一歩一歩を確かめるようにしてテーブルに近づくと、まず奥さんを座らせて、次に旦那さんが震えながら腰を落ち着けた。旦那さんよりも奥さんの方に介助が必要なようだった。
二人がついた途端、そのテーブルは暗くなった気がした。もうここから一歩も動きたくない。何も考えたくない。ただ静かに時間を過ごしたい。そう言いたげなほどに。
店員さんはご注文お決まりになりましたらお呼びください!といって、熱い茶を置いていった。
茶なんだ、と思った。
たしかに、私やサラリーマンに出してくれた氷の入った冷たい水よりも、あの老夫婦にはお茶のほうがよい気がする。もしかしたら「古木みたいな老人と痴呆のはいった老人が来たらお茶を出す」と書かれたマニュアルでもあるのかもしれない。あるいは店員さんなりの心遣いだったのかもしれない。
私はこれを見て、この店のことがなんだかちょっと、気に入った。いっこうに提供されないネギ玉牛丼なんてどうだってよくなった。
しばらくすると、奥さんがやにわに立ち上がって、店内をうろうろしはじめた。
素早い動きではないものの、理由もわからず右往左往されては不気味だ。このまま外へ出ていって国道で轢かれても困るし、レジの前で結跏趺坐(けっかふざ)されても困る。そんななにをするかわからない怖さがあった。
すると旦那さんが店員を呼び、なにか耳打ちをした。
私からその耳打ちは聞こえなかったが、店員さんは得意の溌剌さで「かしこまりました」みたいな返事をすると、奥さんの背中に手をやり落ち着かせてから、両手を引いて、トイレへ誘導した。
牛に引かれて善光寺参りならぬ、牛丼屋に引かれてトイレ誘導だ。思いもよらぬ行動に、不思議と感動をおぼえた。
お客様は神様ではないし、お客様のお願いといえども聞けないこともあるだろう。「トイレへ案内してやってくれ」と耳打ちされたのなら、奥さんに「トイレはあちらですよ」と言葉で説明するだけでもよかったはずだ。
しかしあの店員さんは、介護よろしく奥さんの手を引いて、足元を確かめながらトイレへご案内したのだ。
すべての店員にそうあれとは当然思わないし、その行動はなにかリスクを孕んでいたのではないかと思いもする。
しかし、あの行動は、真実、店員さんの疑いなき好意だ。
あの店員さんがすごい。すごかった。
サービスに正解なんてないし、基本的にはマニュアルに従っていれば少なくとも間違いにはならない。
でも、自分が誠に思えることをしたい。
そんなふうに思いながらネギ玉牛丼を今でも好きで食べている。
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