『鬼滅の刃』の映画が興行収入で1位を獲ろうとしたまさにそのとき、『千と千尋の神隠し』が興行収入を増やしてきて一位の座を死守してきたので、笑ってしまった。
いくらなんでも、とおもった。
どう言いつくろっても格好が悪いので、潔く「一位の座を渡したくないので全興行収入をかき集めました」と認めてほしい。
泥くさくても王座を死守するほうが私としては好感が持てる。『千と千尋』好きだし。
それにしても『鬼滅の刃』の勢いはすごい。
300億を超えたニュースを夕方に知ったとき、ああこれは翌朝のめざましテレビで取り上げられるな、と直感的にわかったし、実際に取り上げられたのでチャンネルを変えた。(「きょうのわんこ」の時間にチャンネルを戻した)
フジテレビが『鬼滅の刃』関連のことを取りあげるとき、なにかその文脈には「いやぁ、うちで放送権を持ってる神アニメがですよ、今回、快挙ですよ」というニュアンスが含まれている気がして、癪に障る。LiSAまでフジテレビのモノになっちまいそうだ。
そのイヤラシさが嫌で、目を背けたくなる。
『鬼滅の刃』がいくら興行収入を伸ばしているかを目にするたびに、『千と千尋の神隠し』の凄さがわかる。
『千と千尋』のときは今ほどにインターネットが普及していたわけではないのだ。
また、『千と千尋』を何度もリピートしてぜったいに一位にしてやろう、と目論んでいた人間が当時どれだけいたのかわからないが、『鬼滅の刃』のファン層の性格とはそのあたりの価値観が異なっていそうではあるのに、よくもまぁ20年近く一位であったものだとおもう。「推し」とか関係なく、どれだけの人が『千と千尋』に引き込まれていったのだろう。
時代や年齢が異なるけれど、私にとって『千と千尋』は心の深いところに残っている映画なのだが、『鬼滅の刃』はそうなれるだろうか?
今の時代はコンテンツの消費速度が凄まじく速くて瞬間的に爆発的な人気を得られるかわりに消費期限も短い。なんだか今ある『鬼滅の刃』の熱は、数年前の「妖怪ウォッチ」の熱と似ているような気がしている。
『鬼滅の刃』は大好きな漫画だから、そうやって消費されるのは嬉しくない。
大人たちがイヤラシさをもって喜んでいるのが、煩くてたまらない。
数字ばかりに固執して「一位」という結果を残した後、何年も経って心に残るものはなんだろう?
それは『鬼滅の刃』だけではなくて、今回数字に固執した『千と千尋』にも言えることなんじゃないか。
自分の中で大好きであることが一番なのに、こういうことを考えているからそれすらも難しくなっていく。もっとシンプルでいいはずなのだ。