酸素ってありがたいな、と思った。
だって、酸素が無いと私たちは呼吸ができない。
きっと深い井戸に突き落とされて冷たく暗い水の底に沈んでいくとき、肺が闇水で満たされていくのを感じながら、「酸素ってほんとうに有難いものだったんだな」と思うはずだ。
当たり前に呼吸ができているということ。それだけで有難い。
きっとそう思うはずなんだ。
窒息死する想像をしながら酸素が当たり前に肺に入っていくことに”感謝”を抱く。
呼吸なんて母の肉から生まれ堕ちた瞬間から、誰に教えられることもなくやっていることで、心臓が動くことと同じように無意識的に、自律神経的に、副交感神経的にやっている本能であるから、普段なかなか「呼吸」を意識することはできない。
過呼吸になったり喘息の発作が起きたり、鬼滅の刃ごっこをするときくらいしか己の呼吸を意識しない。
ラッパ吹きはラッパを吹くときに意識するかもしれないけど、それにしたって日常生活をおくっていて「ああおれは今まさに呼吸をしているな、肺呼吸をしているな」なんて思わないものだ。
呼吸を意識してみると、これがよくわからないことがよくわかる。
鼻から酸素を取り込むとき、いったいどうやって酸素を取り込んでいるのかわからない。
胸が膨らんで、肺が膨らむと、なんか酸素が入って来て笑う。どこに力入れてんだろ。なんなのこれ。
たぶん横隔膜がびよんとなって肺が膨らむのだろう。その横隔膜はたぶん腹筋的な筋肉がまたびよんとなったり、あるいはむぎゅうとなって蠢いているのだろう。
精密時計が発条の動力を使って歯車のひとつを回転させ、それが重なり合ってすべての歯車が連動して秒針と長針と短針と日付とが時を刻んでいることと同じかもっと複雑なことが、私たちの体内で無意識のうちに行われている。
しかも肉体の場合、時計の発条にあたる動力の源が「酸素」なのである。
呼吸をするから呼吸をできているトートロジー。
じゃあ最初の呼吸はどうやったんだよ。卵が先か、鶏が先か、みたいな話になってきた。
呼吸を意識をすると呼吸がなんなのかわからなくなり、息苦しくなる。
息苦しくなってしまうから、呼吸を意識しないようにできているのかもしれない。
同じように唾を飲みこむことを意識すると唾が飲み込めなくなる。まばたきを意識すると目がどんどん乾いていく。
ときどきこういう風に当たり前にできている人間の体のことを考えて、もしかして体の中には宇宙が広がってるんじゃないかなってくらい不思議な気分になる。
私は酸素が好きです。