こういう「今年のベスト映画」みたいな企画って、本来はその年に公開された映画について書くべきなのだろうけど、映画館に通うほど熱心な者でもないので、公開年月日にとらわれず、純粋に2020年に観た映画で良かったものを発表したい。
こういう「今年のベスト映画」みたいな企画って、本来は順位をつけるべきなのだろうけど、数字をつけるのは烏滸がましいので、どれくらい心に残ったかを基準に文章で表したいとおもう。順位をつけられるほど、多角的でもないのだ。
こういう「今年のベスト映画」みたいな企画って、めっちゃ映画観た人がやるべきなんだ。私はせいぜい20本くらいだろう。たぶん20も観てない。いや、観たかな。わからない。こんなレベルなので、本当に、映画好きが映画をどういう風に観たとかそういうところを期待しないでほしい。
「よかったわぁ~」って思ってます、ということを書きます。
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良い映画って、作品鑑賞である以上に、作品そのものを体験したような感覚になる。
作中の苦しさや喜びが、表現として目に映るだけではなく、まさに自分自身のことのように心に深く入っていく。
そういう映画は良い映画だ。私は良い人生を歩んでいる。観た価値があった、とおもえる。
とくにその中でも今年、映画体験として深く印象に残ったのは『異端の鳥』だ。
3時間弱の鑑賞を終えた後、最初におもったのは「二度と観るか」だ。
重く、苦しく、目を覆いたくなるほどの痛みと不幸の連続に、実際に目を覆った。これをもう一回観る人ってよっぽどすごいな、とおもった。
とてもとても良い映画だけど、もう一度観ることはないだろう。映画後の特有の胸の熱を抱えて、映画館を出た。
だけど鑑賞後、しばらくの間、それこそ一週間以上、あのシーンは何を意味していたのだろうと考えたり、あの構図は綺麗だったなと思いを馳せたり、苦痛のシーンを思い出して沈む気持ちになったりと、映画に心寄せる時間が断続的に何度もあって、夢にまで見たので(もちろん悪夢だ)、かなりの影響を受けたと言える。
素晴らしい体験をしたあとはその余韻に長く浸るものだ。
この映画に関して語るべきこと・考えるべきことはたくさんあり、永久に残していつの時代でも観てもらえる映画だとおもった。
そして私は、もう一度、『異端の鳥』を観たいとおもっている。
時代に残すべき映画というものは、何度観ても面白いし、考えさせられるし、観るたびに印象を変えてきたりする、普遍的な魅力というものがある。
『イミテーション・ゲーム』は歴史に名を残せなかった偉人の名を残す映画だ。
2014年の映画を今更。
事実を基にしたフィクション作品。主人公は実際に存在し、偉業を成し遂げ、そして歴史に葬られた。
観るまで、暗号解読がメインの謎解き冒険ファンタジーだとばかりおもっていた。
ぜんぜん違った。
社会的にやや逸脱して協調性があるとは言えない同性愛者であり天才数学者。
社会や時代に圧迫されて生まれつきの個人を否定され、獲得してきた人生を破壊される苦しみは、いつの時代にも、私たちの目にあたらないところで続いている。
名もなき被害者には名前があるのだ。
その迫害は、人種かもしれないし、宗教かもしれないし、性別かもしれないし、出身地かもしれない。
「性」という令和の一大テーマがあるからこそ、今年観て良かったとおもった。
映画は夢見る装置でもある。
圧倒的なフィクションの中で私たちは自己を投影して、そこに自分自身を観ることもある。現実では起こらないことが起こるから、映画はおもしろい。
『インセプション』は他人の夢の中へ入るSF作品だ。
2010年の映画なんだけど、いつの映画だっていいだろ。
ようく考えて観てないと置いていかれちゃって、何回か観ないとぜんぶ理解することはできないのだけど、何回観ても面白い。
ストーリーがひじょうによくできていて、感心した。ほんとうによくできてる、綺麗に終わるし、複雑だけど理解できなくてもおもしろく鑑賞できる。「ああ、こういうことだったか!」と気付いた時二度美味しい。
登場人物は「夢」と「現実」の区別がつかなくなってしまうのだが、ラストシーンによって私たちも区別がつかなくなってしまう。
もう、シンプルに好きですね。こういうの。
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『テネット』を見損ねたので、アマプラで配信されたら観たい。
『鬼滅の刃』もどうせアマプラでやるので、家でひっそり観ようとおもう。
『ラスト・サマー』まだ観れてないの、ちょっとどうかしてるので早急に観よう。
来年はもう少したくさん、いろんなの観たいな。
邦画が苦手なので、邦画ちょっと観ていこうかな。