夏頃のことだ。
その日は梅雨の終りを告げるようなカラリとした晴天で風は無く、陽に手をかざすとジリジリ焦げていくような、絶好の洗濯日和だった。
気持ちよく洗濯物を干せるということは日常における幸福の一種である。
朝に衣類を干して、そのまま会社へ行った。
夜は恋人の方がはやく帰るので、通常恋人が洗濯物を取り込んでおいてくれるのだけど、一枚肌着が外にかかったままになっていた。
「見ればわかるよ」恋人はネギを刻みながら言った。
なにか恋人の気分を害したのだろうか、と怖くなりつつ(機嫌の悪い恋人が銃の次に怖い)肌着を取り込もうとしたら、ちょうど腹のあたりに さなぎが根城を構えていた。
さなぎって、衣類にもつくんだ。
なんの種類の さなぎかは定かではないが、なんらかの種類の さなぎであることに間違いはなさそうだった。小学生の頃図鑑で見たことのあるタイプだったから。
はて困った。
基本的には好きなところで羽化を待てばいいし、健やかに穏やかに暮らしてほしいものだけれど、貴様が選んだそこは私の肌着の、腹のあたりだ。
はて困った。ど根性さなぎ。どっこい生きてる。
夜風が出ていて肌着はゆらりと揺れていた。
困りつつ、私は静かに肌着を内に入れて、押し入れの枠のところにかけておいた。
殺すわけにもいかない。
こういうのはあまり触らない方がいいのだろうけど、つついてみると意外にも硬く、たまに さなぎは愛らしくもぞもぞと動いた。さなぎは無機物的なものだとおもっていた。得体のしれない宇宙生命体のようだけど、ごく身近な生物なのだ。そもそも さなぎってなんだよ。
こいつはたしかに生きているとわかると、猶更殺すわけにもいかなくなった。
「それ、どうするの?」と恋人は言った。
「わからないけど」
「殺して捨てなよ」
虫に対する殺生の判断が極めてはやい。
私はさなぎを羽化まで待つことにした。
私の肌着で羽化するというのも、やや特殊な虫生になっておもろいだろうし、うまくいったら私もブログに書ける。ネタは常に枯渇していて、しまいにはわけのわからないことを書き出してもおかしくない状態だった。さなぎが肌着にすがったように、私は さなぎにすがった。
恋人は「殺せ」と言い続けていた。
押入れの枠にぶら下げたままでもいけないだろうし、そこはクーラーがガシガシあたり生育には適していないので、風のない日を見計らって外に干してみたり、レースカーテンから差すやわらかい光にぶら下げてみたり、さまざまな環境を試してみた。
それがどういう効果があったのかわからない。
外見上は元気にも見えるし、くたびれても見える。相変わらずの無機物ぶりだった。ただ、中身ではおそろしく急速な変化が起きているに違いなかった。
恋人は「殺せ」と言い続けていた。
私が熱心に育てているものを簡単に「殺せ」言い投げる彼女は、軍人の娘である。噂通り、陸軍は恐ろしいところらしい。
さなぎがどれくらいの期間で羽化するのか調べたところ、種類にもよるが、夏ならおおよそ1週間から10日ということだった。
もうだめだとおもった。
秋になっていたのだ。
二か月くらい経っている。
さなぎは相変わらず無機物的な沈黙に篭り、肌着には不快な色のシミができていた。
つついても以前のようにもぞもぞ動かなくなり、より硬度を増しているようであった。
死。
その言葉が脳裏をよぎる。
恋人が「殺せ」と言い続けるからそれが言霊になってしまったんだ。私は恋人を責めた。
「死んだの?じゃあ捨てなよ」
血も涙もない。
いよいよ秋は深まり、私もさなぎへの執着が薄れて、押入れにぶら下げたまま、日中家を出ているときは忘れているのだけど、帰ってきたときに肌着を見て「ああ……」と憂鬱な気分になるのが耐えられず、もういつ捨てようかその時機を見計らうようになっていた。
ワンチャン生きているかもしれない、けれど死んでいるかもしれない。肌着を捨てるとき恋人に「やっぱりね。だからさっさと捨てればよかったんだワ」と言われるのが悔ちい。
考えるほど憂鬱な気分になるのでなるべく視界に入れないようにして過ごした。
そうして冬になった。
各地で大雪が降り、鈍色の空が世間を覆っていた。師走は駆け抜ける季節だ。多くの人が祈りを捧げ、多くの人が犠牲になった。年内にどうにかしなければいけないことは世間でも私自身でも山積みだった。
私は、捨てることを、決意した。
さなぎのついてる面を壁側にして意識から外していたので、さなぎを見るのは久しぶりだったが、久しぶりに見たその様子は私の知っている見た目とは全く異なっていた。
背の部分が割れ、短い糸が割れ目からのぞき、中身は空っぽだった。
殻はカラカラに乾き、完全な無機物に成り果てていた。触れると枯葉のように脆く、ほとりと床に落ちた。
羽化した。そのもぬけの殻だった。
いつの間に羽化したのか。
成虫はどこへ行ったのか。
どんな成虫になったのか。
いったいなんだったのか。
いっさいは謎であった。
さなぎの中身は空っぽで、まるで私みたいだった。
嘘みたいだった。このブログみたいに空っぽだった。