在宅で仕事をしていると、狂いやすくなる。心が。
ざわざわしてきて気が付けば頭を掻き毟ったり悪態をついている。
職場だとそういうわけにもいかないので、おそらく無意識的に「狂い」を抑え込んでいるのだろうけど、解放状態の家では鉄の仮面が外れて抑制が働かなくなる。私はこんなにも凶暴なのだ、と怖くもなる。
人の言葉を借りる。
人は本当に発狂すると、二度と元には戻れない。
元に戻れたように見えても、その人は記憶の中に「発狂したとき」を覚えていて、やはり二度と「発狂する前」には戻ることができないのだ。
発狂しないために、人間はいくつかの自己防衛方法や習慣を獲得している。
それがひとつには豊かな食事や、上質な睡眠、愛情に寄り添った性交渉、適度な運動、芸術活動、そして風呂である。
これらは安定した心を取り戻す作用があるけれど、しかし、ある一線を越えると容易に「狂い」の世界へ引き込む諸刃の剣だ。食べ過ぎてはいけないし、寝すぎてもいけない。過ぎたるは猶及ばざるが如し、である。
だけど一般的なレベルでこういった「良好」を摂取することは、この生活というサバイバルを切り抜けるための重要な手段になってくる。
だから私は、仕事中に風呂に入ることにした。
「おいおい、アンタ、狂ってンじゃないかい」
いや、私は狂ってなどいない。
私が風呂に入るのは「お昼休みの時間」だ。在宅勤務でお昼休みになったら食事を済ませ、いつもは横になったり本を読んだりしているが、この時間を使ってシャワーを浴びようというのだ。
これが休み時間でもなんでもない勤務中に風呂に入るのだったらそれは「狂い」だけど、私のは違う。客先へのアポイントついでにシャワーを浴びるわけでもないし、会議を離席してシャンプーするわけでもない。お昼休みにシャワーを浴びる。まったく一般的なレベルだ。
休み時間にシャワーを浴びてはいけない、とは一言も言われてない。寝ている人だっているし、ゲームをしている人だっている。それとシャワーを浴びることにどんな違いがあるのだろう?
私はムラムラ沸き起こる「狂い」への情動を抑えるべく、あえて昼休みにシャワーを浴びることにしたのだ。
できるだけ時間を無駄にしたくないので、昼休みに入る10分前に服を脱ぎ(在宅勤務では全裸で仕事をしていても怒られない)、時間になったら急いでパンを食べ(パンツは脱いでいる)、浴室へ滑り込んだ。
泡をたくさんつくって、できるだけ丁寧に丁寧に、体の溝という溝に手を這わせる。
シャワーヘッドを低い方じゃなくて高い方に設置して、天からの恩恵を享受するかの如く、湯を浴びる。両手で顔の両脇を押さえて正面からシャワーを浴びる。髪の毛をオールバックにして。
「よろこび」という言葉が浮かんで、思わず笑んだ。
天恵。
みるみるうちに、体のみならず心の汚れまで落とされていくようだ。
いつも以上に丁寧に身体を洗い、清潔なシャツに着替え、新しいパンツに履き替えて、仕事に戻った。
するとどうだろう。
なんだか、もう一度新しい一日がはじまったような気分になったではないか。
だからもう一度最初から仕事を始めなければいけない錯覚に陥るのだけど、しかし、これがいい。「うわぁ、最悪だよう。今日も一日始まるよう」と思っても「いや、実はもう半分終わってるんだよ」って気付いて得した気分になれるのだ。
仕事は半分終わっているのに、気持ちは新鮮。
啓蟄。眠っていた虫が目を覚ます時期だ。まったく、私も同じ気分だよ。すがすがしい春が来たんだ。
昼休みシャワー、いいですね。
ただ唯一の短所は、シャワーを浴びたことで体が夜になったと錯覚して急激に眠くなることくらいか。