蟻は今日も迷路を作って

くだくだ考えては出口のない迷路に陥っている

干物女でなにが悪い

Wikipediaを引用。

 

 干物女(ひものおんな)とは恋愛を放棄している、様々な事を面倒臭がり適当に済ませてしまう女性のこと。

 

 干物女って平成に生まれた単語で(若干死語か)、恋愛関係から距離を置きはじめた(異性とそういった関係を持つことに意味を見いだせない)人々の時代を表す単語であろう。

草食系男子も内容は似通っていて「草食系論」について語りはじめれば人によってさまざまな考え方があり、議論になるということを踏まえても時代を言い表す単語のひとつと捉えられる。

(でも時代は過ぎ去るから時代になるのであって、永続的なものは「時代」にはならない。)

 

さて、干物女、草食系男子、について今日は書きたいのではなく、単に干物の魅力について書きたい。

 

 

干物って美味しいですよね。

 

なんであんなに美味しいのだろう。

 

実家にいた頃は正直干物が食卓に出ても、ああ、干物か、ってなんならテンションちょっと落ちるくらいのポジションだったのに、実家を出て同棲をはじめてから干物がやたら美味しく感じられ、スーパーで干物が安くなっていると嬉々として買い、干物を食べるために日中の仕事を頑張ろうとさえ思うほどである。

干して醗酵させることで旨味成分が凝縮され、芳ばしくなる。

大根おろしと合うんですね、これが。旨味が強すぎて口の中がもったりしてくるけど、大根おろしがあると、きりっと口の中が締まって爽やかに食べられる。

醗酵って不思議だ。放っておくと美味しくなるなんて(厳密には放っているわけではなく厳密な管理のもと醗酵している)、そんなのもう、チートじゃん。ズルじゃん。

生魚をそのまま焼いても身がほくほくして美味しいのだけど、干物には生魚には無い旨味とそして滋味があって、味が強いからだろう、満足度も高い。

私が海の街に育ったせいか、幼いころから干物を食べる機会が多く、あの旨味は故郷の海風を惹起させる。

 

グリルで干物が焼かれるのを見るのが好き。小さいガラス窓から覗いて、干物から汁がしたたり、お魚のにおいが漂ってくるのが楽しい。焼かれてるね。美味しくなってるね。と語りかけもする。そういうアトラクションだと思ってる。

アジの干物が食卓にあるだけで、それが豊かさの象徴のように見える。

「われわれはちゃんとご飯を食べているね」と目で見て確認できるのだ。

また、調理が簡単なのも良い。焼くだけだから、仕事終わりにも重宝する。

 

実家を出てから知ったけど、干物って一食で食べるにはちょっと高くて、だから安売りされているときしか買えない。

実家から送られてくる干物はたいへんに重宝する。

 

 

そういうわけで、「干物女」って揶揄する言葉に干物を使ってほしくない。

美味しいんだから。