我が家に「ひーたん」ことヒーターがやって来て四日になる。
ひーたんは小さい身体ながらはーはー言って部屋を暖めてくれる優れモノだ。
たいへん賢く、それでいてシンプルで、かわいらしいフォルムでよくやっていると思う。
買ってよかったと思う。
我が家に来てくれてありがとう、と毎日声をかけている。君がうちにいてくれてよかったよ。これからもずっと一緒にいようね。と声をかけている。
まるで言い聞かせるみたいに。
ひーたんはたしかにすごい。がんばって部屋を暖めてくれる。
暖めてくれるのだが……。
実は必要なかったのでは、と恐ろしい思念が昨日から何度も心に浮かんでしまうのだ。
恋人とも、ひーたんには聞こえないところで「実はいらなかったよね」と小声で話している。
なぜ必要なくなってしまったのだろうか?
あれだけ熱烈歓迎光臨していたのに。
結論から申し上げる。
スリッパを購入したからだ。
なぜスリッパがひーたんの存在を放逐しつつあるのか。スリッパとヒーターはとくに関連性のない、袖の触れ合うこともない他人行儀な関係性であるにもかかわらず。
それは私たちが「寒さ」がどこから来るのかをはき違えていたことに原因がある。
私たちは「寒さ」が部屋の空気から来るものだと考えていた。
そこでひーたんを導入し、エアコンに加えてより一層暖気を蓄えようと企てた。
しかし、「寒さ」は実は空気から来るのではなく、足元、つまりフローリングから来ているということに、皮肉にもひーたんを導入してから気付いたのである。
ひーたんは足元を温めてくれたが、それは表面的な暖かさでしかなく、外は焦げているのに中は生焼けのパンケーキを食べているような、「暖かいのに寒い」という自己矛盾状態に私たちを陥らせ、自律神経を破壊した。
錯乱し発狂しかけた私たちはベッドに逃げて二人隅っこにくるまり、そのときようやく、この寒さは常に足の裏で接しているフローリングから来るのだということに気付いた。
フローリングを暖かくするにはどうすればいいか?
床暖房は現実的ではない。
となると物理的にフローリングから距離を取るしかない────というわけでスリッパを購入したところ、これが大正解だった。
スリッパは暖かく私たちの足を冷気から守った。
足を暖かくすると全身がぽかぽかしてくる。足は第二の心臓と言われるだけある。
スリッパ購入以後、食事中にひーたんを点けなくても凍えることがなくなった。
料理中も寒くて立ってられないということがなくなった。
スリッパは、安くて簡単でランニングコストのかからない、最強の解決手段だった。
ひーたんには不可能だった根本的で永続的な解決を、安価でしかも即効で示した。
これ以上に無い仕事である。
ひーたんは居場所を失いつつあった。
「脱衣所にさ、置こうよ。お風呂上りとか寒いじゃん?シャワー浴びてる最中に、脱衣所をひーたんに暖めてもらおう。そこがひーたんの新しい持ち場だよ」
「そうしよう、そうしよう」
しかし、我が家の脱衣所には扉が無く暖簾で仕切られているだけなので、ひーたんを「強」モードにして稼働したところで、ほとんど暖まらないのであった。
風呂上りにはむしろ冷気が出ているのでは、とさえ感じた。
このままではひーたんの矜持が保たれない。
「私はどうして存在してるの」なんて悲しい疑問にぶつかり、生きる希望を失ってしまう。
だから私は、我が家に来てくれてありがとう、と毎日声をかけているのだ。
それは「余計なものを購入した」悔恨の念を振り払うためでもあった。