蟻は今日も迷路を作って

くだくだ考えては出口のない迷路に陥っている

料理のコツはいかに洗い物を減らすか

理のコツってなんですか、と問われたら、いかに洗い物を減らすかに尽きる、と答えるつもりだ。

洗い物は料理の敵だ。

洗い物があるんだよな、という気持ちが料理への腰を重くし、憂鬱にさせる。

洗い物をまったくしなくていいのなら、いくらでもどれだけでも料理は楽しくなるはずだ。洗い物なんてなくなればいい。

でもそんなことはあり得ないので、とにかく汚れたものは洗い、キッチンは常に清潔を保たねばならない。

 

洗い物を減らすということは、たとえば、菜箸を洗わずに使い回すとか、まな板を使わなくても切れるものはまな板を使わないとか、溶き卵は空になったキムチや肉の入れ物の中で作ってしまうとか、そういった貧乏性的なことを指す。

道具をなるべく使い回すとなると料理の工程の先を見通さねばならないので、結果として効率的に動くことにつながる。調味料を量る大さじ小さじは、砂糖や小麦粉など粉物から先に使い、醤油など液体はそのあとで使う、といったように。液体から使うと、砂糖をすくうときによくないことが起こる。

生肉を切ったまな板で野菜を切るのはちょっと……という人もいるだろうが、その肉と野菜が同じ料理となり、しかも火を通すのであれば関係ないので心配しなくていい。ただし、別の料理で、しかも火を通さないのならば洗うほかないだろう。洗うのが嫌なら作らないというのも選択肢のひとつだ。

溶き卵を肉の入れ物で作る、というのも同様で、火を通してしまえば関係なくなる。それに、入れ物に残った汁なんかも効率的に回収できるため無駄がなく経済だ。

洗い物を減らすということは、無駄を減らすということでもあるのだ。

 

炒め物をしているときに、もろもろ洗ってしまう。炒め物は別に火から離れても作れる。実は。放置してても焦げさえしなければいいのである。

おすすめしないが、一旦火を止めてもいい。

火を止めると時間効率を図れない場合は弱火とかにしておけばいい。

レシピに「強火で!」と書いてあっても、弱火でいい。洗い物が終わったら強火にしておけば大丈夫。

煮物作るの好きなんだよな〜!

洗い物が捗るから!

煮物は時間がかかるから、余裕を持って洗い物ができる。

もはや私は、料理をするためではなく、洗い物をするために料理をしている。

 

効率的に動いて短時間になる、無駄を減らす、労力を減らす、という3つをクリアするのが「洗い物を減らす」によって達成される。

あとは味付けとかもろもろ頑張ればいい。

料理が終わった時点で洗い物はフライパンと菜箸だけ、くらいの状態が理想だ。

シンクに洗い物が溜まるさまを見ていられない。いつ洗うの?を考えると憂鬱になる。

調理台が汚れたらすぐに拭いて清潔に保たないと、料理にまで汚れが及びそうな気がする。

食べるときにタスクは残したくない。

しかしながらまぁ、こんなことは理想論だ。

もちろんうまくいかないときだってある。生きていれば失敗ばかりだ。

ただ私たちは、理想を追求するその姿勢こそが、生きる美しさであるということを、知っている。