妻は目薬を差せない。
眼球の直上に薬瓶を逆さまにし、指先にわずかに力をかけ、薬液が蚊の吸吻よろしく尖った瓶口から落ちてくるのを、待てなくて目を瞑ってしまう。まぶたの上に雫が垂れ、泣いてるみたいに見える。
そこで私が妻の頭を膝に乗せて、まぶたを手で無理矢理開き、薬を差してやるのだが、この間妻は足をバタつかせてヒーヒー喚き、ちょっと気のおかしい人みたいになってしまう。
「自分でやった方がマシ」と最後に言って、また雫をまぶたの上に垂らしてる。
ところで目薬を差すときに口が開いてしまう人がいる。
目薬は眼にやるものなので口を開ける必要はないのだが、極度の集中状態になるからか、顎の筋肉が裂けてしまったかのようにぱっくりと口が開いてしまって、それを見ると情けない気持ちになるというか、はっきり言ってかなり馬鹿っぽい。
馬鹿っぽいことを認識しているので、実は口が開いてしまうタイプの私は自戒を込めて、口を固く結んで目薬を差す。
これらのことから、目薬を差すときの口周りのスタイルは以下のパターンに分けられる。
① 口が開かないタイプ
② 口が開いてしまうタイプ
③ 口が開いてしまうので頑張って閉じるタイプ
④ あえて口を開けるタイプ
④なんて人いるのかはわからないが、論理的な組み分けによればパターンとしては存在するわけで、70億人もいる地球上なら一人くらいいてもおかしくない。
でも、見かけたらあまり近寄らない方がいいだろうね。たぶん、気、狂ってるから。
口が開いてると馬鹿っぽいからみんな口を閉じるのにそれをあえて開けて、さもこれから目薬が舌の上を転がるのを楽しみにしているみたいな格好して、なにがなんだか、理解に苦しむ。論理的じゃないし、生産性もない。あえて言ってしまうと嫌に宗教じみてる。
本当にわけがわからない。
教えてください。そんな人いたら。教えなくてもいいです。怖いので。近寄らないでください。
そう思っていた。
そう思っていたのだけど、待てよ、まずは自分でもやってみないといかんな、と真面目な私は思い直した。
差別や戦争はこういった不理解から生まれるのだ。
相手を理解することで恐怖は和らぎ人間としてのステップを進めるのである。進歩と調和だよ時代は。
以来、大口を開けて、ついでに鼻の穴も膨らませて、目薬を差すようにしている。
口を開けた方がなんとなく目薬を差しやすい気がするので妻にも勧めた。
夫婦揃って口を開けて目薬を差したらなんか野生的で良いんじゃないか。私は芸術が好きなので、その姿をヘンリー・ムーアあたりに彫刻にしてもらいたい、そんな話を壁に向かって小一時間、した。