蟻は今日も迷路を作って

真面目な話からそうでない話まで。本当の話から嘘の話まで。蟻迷路(ありめいろ)という人が書いてます。

推し活はすぐそこに

し、がいる人はいいよなぁ、と常々思う。

アイドルとかキャラクターとか、人物に限らずコンテンツや物に至るまで自分の「推し」がいるのはさぞ楽しいことだろうな、と羨ましくなる。

『推し、燃ゆ』は内容も文章もすばらしい小説だったし、この作品が「推し」の概念をサブカルチャーから世間一般へ湧きおこらせた呼び水となったのではないだろうか。この芥川賞以来「推し」の文字を頻繁に見かけるようになった。

心の支えとか、人々の注目度を集めて安寧を与えるものの意味で「宗教」という言葉を使うならば、「推し」は令和の宗教と言ってもいいだろう。ひと昔前のオカルトブームや、スピリチュアルブームや、ゆるキャラブームのような。

もっとも「推し」は個々人で対象が異なるので単なる一過性の「ブーム」ではなく、ひとつの心の在り方を示し定着した強力な概念なので、これからは心の深いところに根付いた言葉になるだろう。

 

推しがいる人は輝いてる。

会話の中で「推しが~」と、その推しへの散財に頭を悩ませていたり、推しへの純粋な「感情」を吐露しているさまは、一見すると苦しそうでもあるが、よく見ると口角が上がって頬を上気させ目尻は笑みが含まれていることから苦しいわけではないとわかる。

幸せそうだ。

「悩ましい~~~~」みたいな言いながら笑ってやがる。

なによりのことだ。

そんな人を見ていると、私も推しが欲しいな~と憧れを抱く。

しかし「推しが欲しいからとりあえずちょっと好きなコンテンツにどっぷりハマってみますかな」って感じで推し活をはじめるのはよくないと思うのは私だけだろうか。

手段と目的が入れ替わっている。恋をしたいから人を好きになるのと、その人が好きだから恋をするのとではまったく異なるでしょう。

推しは、作るものじゃない。

推しに、なっているものだ。

推し処女である私はそう思ってる。恋を夢見る乙女のように。

 

なので、推しがいないので、いいな~とだけ思ってこの1年くらい過ごしてきたのだが、はたして私には推しが本当にいないのだろうか?

よく考えてみたら、推し、いるんじゃないか?

身近すぎて忘れていたんじゃないだろうか?

ふとそう思ったとき、ソファで寝そべって美容系YouTuberを見ていた妻が目に入った。

 

妻とは7年前に大学のサークルで出会って、6年前から付き合い始めた。けっこう歴史があるな。

当時は一挙手一投足すべてが可愛くて、愛らしくて、なんかもう歩いてるのを見ただけで頭がくらくらしたものだった。歩いている姿すら可愛いってことがあるのだと初めて知った。

ちょっと離れたところからでも彼女がいるとすぐにわかった。

明確に発光していたからである。日の目を見るよりも明らかに。後光が差すみたいな半端なもんじゃなくて、細胞の一つ一つが淡い光粒を放っていた。

彼女のどこが好きか?

まず顔面が好きだね。どこが好きかで顔面が好きでなにが悪いのよ。顔でしょ。まずは。

肌の白いのも好き。見た目に関しては兆点、完璧にタイプだった。完璧な物事は存在する。それが彼女だ。

見かけるたびに、会話をするたびに、やれやれ、と思った。

今すぐに彼女をどうにかしないと、どうかしてしまいそうだった。できれば宇宙の彼方で二人ぼっちになりたかった。それですべてが解決する。

彼女が恋人になったらどれだけ楽しいだろう、と毎日のように考えた。同時に、彼女に他の恋人がいたらどうしよう、とも不安に思った(綿密な周辺への聞き取り調査でそれは否定された)。自分の望みが叶わないどころか、嫌われてしまったらどうしよう、もう二度とその姿を見ることすら許されなくなったら……。

LINEがすぐに返ってくると嬉しかったし、返信がないとやきもきした。死ねば気を引けるかな、と恋をしているとき独特の暗い感情もあった。ここで死ねば彼女に殺されたことになって最高なんじゃないか、と。

でも、死ななかった。

死なずに、いろいろ頑張って、結果として運よく、彼女は私の恋人になってくれた。

彼女は良い人間だった。私なんかを愛してくれたのだ。完璧な人間だった。

 

そうだ、思い出した。彼女は、私の推しだったのだ。

だった、ではない。推しなのだ。現役の。

好きすぎて結婚しちゃうくらいの推しだ。

「届かない人」がわりとすぐ自分の隣にやってきて、二人で過ごす時間が多くなったから彼女が本来「推し」であるというのを忘れていたけど(気付かなかったけど)、元来、妻は私の「推し」であり、私は推しと結婚した最高ハッピ~タコ介野郎なのだ。

そうと気付いたとき、心の原点に立ち戻ったかのような感動に包まれた。

今の生活、最高じゃないか。

妻に飛びついた。

「きみはおれの推しだよ」とソファで寝そべっている妻に抱きついてほっぺとかおでことかにチューを浴びせた。

するとそのとき、「んっ!んっ!!」と鋭いエルボーがとんで来て、したたかに私のみぞおちを二度、突いた。

ああ……

呼吸ができないくらいきみのことが好きだよ。

本当に呼吸ができないくらい。