蟻は今日も迷路を作って

くだくだ考えては出口のない迷路に陥っている

邦楽のストリングス・レイプ問題

メジャーレーベルに移ったロックバンドが喜んだのも束の間、メジャー移籍後ファースト・シングルでその出来栄えにがっかり、「メジャーに行ってから変わっちまった」なんて揶揄されるなんて光景は、紀元前から見られたらしい。

メジャーレーベルに移ると、ストリングスアレンジを加えられる場合がある。これが、がっかりの根本的な正体だ。

ストリングスとは、ヴァイオリン・ヴィオラ・チェロ・コントラバス弦楽四重奏のこと。

これを安直にアレンジに加えることで、ロックミュージックは陳腐なJ-POPに成り下がる。はじめからJ-POPとして作られた曲なら別にいいんだけど、ロックがアレンジを加えられてJ-POPに成り下がるのは単なる侮辱とかそれ以上に、レイプだと思う。

音楽性を殺してる。

ストリングスを使うなら、安易に壮大さを演出しようとするやつじゃなくて、もっと効果的に使ってほしい。

たとえばユニコーンの「大迷惑」はコンセプトのある使い方だと思う。パンクなのにオーケストラが入っているのがひねくれてていい。それでいてパンクロックな雰囲気は損なっていない。

ストリングスを使うにしてもちゃんと意味があって、コンセプトを考えていて、表現として成立していればいいのである。

ただ一方で「プロデューサーに言われてアレンジ加えました」みたいなセンスのないやつは払下げだ。

センスのない企業がストリングス・レイプをすることでロックが大衆受けして金が儲かると思っている。そして残念ながら実際にそうなるのだけど、金のためにバンドは死ぬ。

でもあえてそれを受け入れて、メジャー言ってすぐに爆死するのを目的としていたとしたら、ちょっと格好いいかもしれない。

「おれたちは死ぬためにここに来た」なんて言ってさ。

 

ストリングス・レイプがひどすぎる曲を聴くと、どんなにいい曲でも萎えて聴きたくなくなる。凌辱されて人間性を失うほどにズタボロになった人を好んで見たくはないのと同じだ。

昨今、そんなアレンジは少なくなったように思うので、多少は良い時代になったのかもしれない。だいたい、エレキギターすら時代遅れの楽器になったというのに、今なおストリングスにしがみついているようでは売れるものも売れないだろう。