この数日で映画を3本見た。
『南極料理人』『The Shape of Water』『12人の怒れる男』だ。
どれも素晴らしい映画だった。
映画は開始から30分くらい、つらい。
最初のうちは映画の中の世界に入り込めないし、キャラクターもよくわからない。物語はなかなか動き出さない。アニメ映画ならともかく、実写だと映像表現がどうすごいのかわかりにくい。技法を知らないから。
小説も同じで、最初の30ページくらいは厳しい気持ちになる。一年に100冊読んでもそうだから、私はそういう人間なのだろう。
最初の3分で心を掴むような映画は非常に少ない。歴史的名画だって、アカデミー賞をとった話題作だって、そういう映画は稀だし、それはつまり最初の3分で評価をするというのには早計が過ぎるということでもある。
だから30分は耐えながら見る。
よくわからないなりに、よくわからない状況を楽しみ、映画の中で起こることのすべてはなるべく肯定的に捉えようとする。
この時間がどうか無駄になりませんように。どうか、楽しめますように。
私のような、自分とは違う世界に対峙するときに疲れてしまうような狭い人間は、そうやって「映画を楽しもう」としなければ、どんな名画もクソ映画にしてしまう。
どうか、どうか、と思いながら。
そうしていると、1時間後には肩を乗り出して、指先に唇をあてながら、固唾を飲んで物語を見守っている。
映画を見終わるころには、最初はいけすかなかったキャラクターに愛着すら抱いていて、いやぁ、いい時間を過ごしたな、なんてしみじみとしたりもする。
映画は不思議だ。
映画を見たあとの、あのすっきりした感覚はなんとも言い難い。
心にたしかにジンと震えるものが残っている感触がある。
胸の内側がぐつぐつと熱く、昂る。
映画を見終え、日常の気温に戻されていく、その清々しさというか、気持ち良さ。
心がぽっかり空いたように感じるのは、日常の物足りなさなのか、それとも映画の世界が終わってしまった寂しさなのか、それとも感受性が広くなって隙間風が吹くのか。
ぽっかりしたようになるのに、やけに満たされている。
もう一度見たいな、と思う。
映画を見たことで私の人生は「この映画を見たことがある人生」になったのだと実感する。
それはすべての経験にそう言えるのだけど、映画はわずかに人生の方向が変わるような予感を抱かせる。もちろん、そうじゃない映画もあるにはあるけれど。
私は「映画を見たあとの感覚」になりたくて映画を見ているのかもしれない。