蟻は今日も迷路を作って

くだくだ考えては出口のない迷路に陥っている

骨の髄まで、この世の終りまで

家に帰り、2年半前に亡くなった飼い犬二頭の遺骨をいよいよ納骨してきた。

遅すぎたくらいだけど、今日までに2年半という時間はやはり必要だったと思う。本当はずっと手放したくないくらいだった。

でも、骨は然るべきところへ納めなければならない。実家の庭に埋めたってそこは永遠の安寧ではないし、まさか海にも撒けないし。

論理的ではないかもしれないけど、骨は然るべきところへ納めなければ、犬ズはあるべきところへ還れない気がする ──私たち家族は、犬の亡骸から離れて、健気に人生をまっとうするべきなのではないか。そんな気がじわじわと大きくなる。

結局その決断に2年半の時間を要した。

 

インターネットで調べたり、口コミを聞いてようやく見つけた寺は、とても感じのよいところだった。

実家から車で30分ほどのところにあり、大きなイチョウや桜、紫陽花、季節の木々に囲まれ、池には鯉が泳ぎ、風が吹いて日当たりもよかった。人間も多く眠っている霊園だ。

鴨やアヒルが池のほとりで羽根を伸ばし、猫数頭が屋根の上でくつろいでいた。

そんな共同墓地に納骨してきた。

もう蝉が鳴いている。夏なのだ。

 

墓石を退けて、墓穴に骨を入れる。骨壺を開けて中の骨を拾うのだ。壺ごと仕舞うものだと思っていたので少し驚いたが、霊園といえどスペースは限られているしこうなるのもやむを得ないだろう。ましてや共同墓地なのだ。

骨壺を開けると白い骨が露わになる。

全身をガンに蝕まれ、最期は息も絶え絶えに亡くなった子の骨はもろもろに崩れていた。

「苦しかったねぇ、可哀想にねぇ」母の声が鼻音に滲んだ。

一方で天寿をまっとうし、病気といった病気をしなかった子の骨はその性格を表した如くに太く残っており、頭蓋骨まで丸々と確認できた。

「食い意地はってたからね〜」妹が笑った。

 

骨は骨だ。そう思っていた。

2年半あったんだ。いい加減、整理はついてる。死を受け入れている。そう思っていた。

骨は白くて小さくて、今でも触れればほのかに体温が残っていそうに光っていた。からから音がして無邪気だった。

変な話だが、骨を拾ってもまだ、死んでいるとは思えない自分がいた。

これを、この子たちを墓に入れるなんておかしな話だ。いや、わかるよ。死んでるもんね。でも、死んでないじゃん。不条理なんじゃないか。不条理なんじゃないか。

だが、背けようもなくあの子たちは死んでいて、ぽっかり空いた墓穴に否応なく吸い込まれていった。私の手で。

これが本当に永遠の別れなのだと、リアルな感度をもって実感する。永訣の夏。骨すら抱きしめられなくなる──

 

──ああ、骨になっても、こんなにも愛しいのか。

 

蝉が鳴いていた。

 

 

墓穴の奥に他の動物たちの骨が集積しているのが見えた。私たちと同じように他の家庭でも1匹の家族を埋葬したのだ。たくさんの家庭が、たくさんの家族を。

そこには祈りがあって、人間と動物の関わりがあって、日当たりのよい愛情があった。

線香の匂い、供花のひまわり、お供えのオモチャや缶詰、おやつ。

みんなみんな、愛されてここまで来たんだ。その想いはここで誰かが手を合わせる限り、眠るすべての動物たちに安寧を約束する。

だから安心していいんだ。ここは永遠の場所なのだから。この世が終わるその日まで。

 

私たちは犬ズの骨を手放したのではない。別れるために納骨したのではない。

ただずっと一緒にいるために。

それだけのために。