蟻は今日も迷路を作って

くだくだ考えては出口のない迷路に陥っている

ヒカルの碁

『ヒカルの碁』を読破した。今更。

これまでジャンププラスでたまに無料開放されていた話を断片的に読んでいて、こりゃあ面白い漫画だと思っていたのだが、もう我慢ならず、満を辞して電子書籍で全巻購入して一気読みした。

すごい漫画だ。

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よく言われる「ヒカルの碁を読んでも囲碁のルールはよくわからない」というのは本当で、頻繁に出てくる用語もどこかで一回は説明を見たはずなんだけど、なんとなくでしかわからない。

盤面の解説も用語だらけでよくわからないし、その解説は作中の人物の会話でしかなされないため読者としては何が何だかわからないのだが、まったく問題なく話が成立している。

囲碁がわかれば面白いし、わからなくても面白い。

囲碁の知識は作中に出てくる最低限すらわからなくても、話が面白いから読ませる。

どうしてそう面白いのかというと、話の主軸が盤面の形勢ではなく、勝ったからキャラクターはどうなる、負けたからキャラクターの心情はどう変わる、手合いにどういう気持ちで臨む、相手とはどんな関係性にある、といった人間ドラマにあるからだろう。

殴り合いやビームの出し合いや空中戦なんかはない、会話劇で話は進むし、囲碁という地味な描写で、しかしながらどこにどんな手を打っているのかわからないにも関わらず、ハッと息を飲むほどに迫力のある描写が随所にある。

いくら囲碁が地味だとは言え、この作品は小説では成立しえなかったのではないだろうか。

漫画特有の「見せる」読ませ方が、囲碁というよくわからないゲームの、素人目の退屈さを感じさせない。

「よくわからない」状態がもはや心地よい。

なんかコミとか、ヨセとか、用語が格好いい。

なんとなく伝わる「凄み」で読める。

それには、小畑先生による実に誠実な作画技術があるからだろう。本当に誠実に、精密に、丹念に、職人的に描いている。

 

「どうして囲碁を打つのか」というテーマが根幹にあって、それは佐為が現代に蘇った理由に関わることであるし、そのテーマから派生して「どう生きるか」があり、さらに「真剣になるということ」とか「目標を持つという素晴らしさ」とか「向き合わねばならない弱さ」などといった派生テーマが繰り広げられている。

ヒカルの碁』というタイトルの回収が素晴らしくて、このタイトルにこそこの作品の言いたいことが詰まっていると思う。

ヒカルの打つ囲碁は、ヒカルだけが打つ囲碁じゃない。遠い過去からの研鑚と、現在の出会いと、そして未来へ繋いでいくものなのだ、という。

 

何を言ってるのかわからない人は、ぜひ読んでください。

本当に最高の漫画。

なんていうか、漫画という表現の可能性を押し広げた、漫画史に残る傑作だと思った。