蟻は今日も迷路を作って

くだくだ考えては出口のない迷路に陥っている

文章のこと/ティーポットのこと

<文章のこと>

 

自分のブログを読み返すことはあまりないのだけど、読み返してみると存外面白く、もっと人気が出てもいいのに、と思う一方で、文章が下手くそだな、というのと、なによりも文章がどこか偉そうで人気が出ない事にも頷け、読んでてムカついてきた。

 

なんか押しつけがましいというか、切り捨てるような文章というか、思い込みは激しいというか、聴く耳を持たないというか、私が目指すところとだいぶ違っている。

もうすこし柔らかで、優しくて、思いやりのある文章がいいですね。あなたに寄り添うような、思い出についていくような文章がいいです。(丁寧語)

そうなるにはまず自分自身を変えていかなきゃいけないのだろうか。文章は書く人の心を映す鏡なので。

文体を変えることはできるだろうけど、文体を変えたところで、文章を書くために備わっている根幹的な人間性を変えなければ、結局紡ぎ出す文字列の性質は変わらない。

こんなこと書いてると嫌になってくるからこのへんにしとこう。

 

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ティーポットのこと>

 

我が家のティーポットは、むかし母がデザイナーだった時に作ったもので、実家を出る際に餞別で貰った。

しかし何カ月も前に蓋の取っ手が割れてしまい、それから取れるたびに陶器用の接着剤で直していたのだが、最近ついに接着剤でもくっつかなくなってしまった。

割れた面同士がぼこぼこになってしまって、接合しようとも安定せず、一瞬くっついたように見えても持ち上げるとぽろりと取れてしまう。

接着するときは互いの面を磨いてすべすべにしておく必要がある。これはどの材質のものにも言えることだ。

陶器となるとそれは難しくて、本格的に直すならだれか専門家に頼るほかないのだろう。

 

買い直してもいいのだけど、母が作ったものであること、非売品であることなどが心に引っかかって、なかなか次のティーポットに手が伸びない。それにこのティーポットはけっこう使いやすいのだ。大容量だし、可愛いし。

 

食器を選ぶには出会いというものが必要だ。

それこそ応急処置的に安くてダサい食器を揃えてずっと使うようでは食事のテンションもアガらないし、料理だって映えない。

ふらりと入った店でピンとくる食器と出会いを果たしたい。ティータイムは安らぎの時間でありたい。

 

しょうがないから今は、蓋の割れた部分にラップをかぶせて応急処置としている。

もういっそ陶器の修理を探して頼もうかしら。