蟻は今日も迷路を作って

くだくだ考えては出口のない迷路に陥っている

800回も何を書いてきたのか

日の記事で800本目となる。

1記事あたり平均1000文字は書いているとして、通算80万字書いたことになる。

 

2019年の2月くらいから始めたので、2年余りだ。

よくもまぁそんなに書くことがあったものだと自分でも関心するが、実際、書くことなんてなにひとつない。毎回、床に落ちてる髪の毛を拾うような気持で記憶の断片を探り、思索を巡らせる。一本でもツヤのある話題があればラッキーだ。なにも見つからないときはとりあえず目に入ったものを話題に書きはじめる。変な加湿器や、玄関や、カーテンについて。なんだっていい。

 

自分でも今まで何を書いてきたのか、無責任ながら忘れていて、もはや老後に読み返すために書いていると言っても過言ではなく、ときどき過去の記事を開いては訂正を入れたり大幅に変更を加えたりしている。

文章力の向上は見られないままだ。むしろ悪化してる。支離滅裂でまとまりがなく、オチもない。

海風が砂浜に描く線のように、そこに意味はなく、ほとんど現象のようにしてそこにある文章だ。

 

目指したいのは読ませる文章だ。内容なんてどうだっていい。

私は町田康の文章が好きで、よく音読をして楽しんでいる。ほとんど爆笑して腹をよじらせ、ああ、好き、ってなるんだけど、なにが書いてあったのかはあまり覚えていない。

なんかとにかく移動しているな、とか、地下深くへ潜っていくな、みたいな漠然としたことしか覚えていない。私の頭が良ければもっと読み方は違ったのだろう。ちゃんと意味をわかろうとしたのだろう。

だけどこういった文章の在り方は私の理想とするところで、要するに内容ではなく「文章そのもの」で読ませられるのが格好良いのだ。

村上春樹や、最近ハマっている西村賢太もそうで、各々毎回小説では同じようなことを書いているにもかかわらず、毎回ぐっと引き込んで離さない。

魅力的な文体なのだ。

そういうの、ほしいな。もっとたくさん読まなきゃ。

 

 

それにしてもブログを書くのが習慣化していて、一日サボるとけっこうな罪悪感、二日休むと全身が粟立つ気持ちで落ち着かない。全身の毛穴に馬糞を詰められたような不快感。歯を磨かないよりも気持ちが悪い。

更新されないと淋しい。自分が書いていないせいで更新されていないのだが。「なにかあったのかナ……」なんて心配にもなる。

だから書いている。

無理して書いている一方で、これが楽しくて書いている。

好きなんだな。書くことが。

 

書きたい話題なんてないのだけど、書きたい気持ちはとにかくあって、それが800回も続いてきた結果が今日だ。

いまのところ塵が積もって大きな塵になっているブログだけど、そのうちゴミを集めて浮島作れるくらいにはまだまだ続けていきたいと思っている。

 

1000本目もいよいよ近くなってきた。

がんばらないぞ!おー!