蟻は今日も迷路を作って

くだくだ考えては出口のない迷路に陥っている

書くことがないときに行ういくつかのこと

 っきり言って、ブログに書くべきことなんて最初からひとつもなかった。
 大切なことを書こうがそうでないことを書こうが、それがどんな価値を持ったものであるかなんて読み手に委ねられるものであるし、多くの場合、一個人の顔も知らない人間の意見なんて、たとえそれがアンチだろうが信者だろうが豚の夢だろうがどうだっていいのだから、たとえば内容に価値を見出そうとするなら、このブログには何の価値もない。
 私が書くことを楽しんでいるだけだ。せいぜい、読者をちょっと笑わせたり泣かせたりできればいい。
 だから、できるだけ無意味でどうでもよくてインスタントで重要性が低く、不必要で不真面目なものを書くように努めている。そうでなければ、私が楽しむことに繋がらない。

 要するに、私が書きたいことを書いているまでだ。


 でも、そうなかなかどうでもいいことなんて書けない。
 頭の中で考えていることは人生のことや政治のことや思想のことや精神世界のことなど、どうでもいいと一笑に伏すにはあまりに重すぎることだらけだからだ。
 何度かそういったいつも考えている重いことを投稿しようとしたけど、書いてて暗い気持ちになったし、まったく面白みがなかったし、読者が不快な思いをする可能性があったので、諦めた。書くことがない日はそういうものを書いてしまう傾向にある。

 どうでもいいことをできるだけ丁寧に可笑しく書かなければならない。

 書くことがない。書くことがない。
 そういうとき私は、身の回りの物を眺めるようにしている。ヘミングウェイの短編小説のタイトルを思い出す。『何を見ても何かを思い出す』もちろん、読んだことはない。
 でもこのタイトルは至言で、すべての物や事にはなにかしらの思い出やそれにまつわる考えがあるものだ。あとはそれを思い出して、いかに面白く、1000字くらいで書くか、だ。
 
 しかし、それもそう簡単ではない。
 なぜなら、考えがあってもそんなに面白くはないからだ。
 先日、書くことがなかったので周囲を見回して机の上にあった「付箋(ふせん)」のことを書こうと思ったのだが、500字くらい書いてぜんぜん面白くないことがわかり、消した。
・付箋を貼った本はカバンの中でくしゅくしゅになる
・付箋を貼りすぎるとよくわからなくなる
・付箋を使い切ったことがない
・たいていは使っていない付箋が折れたり汚れたりして使わなくなる
・付箋をどこに入れて持ち歩くべきか
 こんなことを書こうとしていたのだけど、もうわかるように、まったく面白くなくて辟易した。

 こうなった場合、私は部屋の中をウロウロしたり、ギターを弾いたりして気を紛らわす。他の作業をすることで、一度書くことから離れてリセットするのだ。パソコンがそうであるように、再起動すると調子が戻ることがある。それと同じ原理で、再起動後の自分に賭けてみるのだ。

 再起動しても書けない場合がある。どうするか。
 本を読んだり動画を見たりする。他の作品から刺激を貰うのだ。そうすることで書きたいことが浮かんでくる。なんなら読んだ本の感想を書いたっていい。

 でも、本の感想を書きたくない場合は多分にある。
 だって面倒くさいもの。難しそうだし。
 そういう場合どうするか。

 これを書くと顰蹙を買うかもしれないけど、書くのを夜まで待って、酒を飲んで書くようにする。
 これで書けなかったことは一度もない。何を書いていても可笑しくなってきちゃって、無駄に長大に書いたりして、おもしろいように文章が湧いてくる。お酒の力ってすごい。お酒の力ってすごい。お酒の力ってすごい。お酒の力って、すごいんだぁ。

 

 そうして出来上がった文章を翌日読んで、消す。
 良いものなわけがないのだ。

 そうして、また一から頭を抱える。

 

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