蟻は今日も迷路を作って

真面目な話からそうでない話まで。本当の話から嘘の話まで。蟻迷路(ありめいろ)という人が書いてます。

お腹痛い

(高校生のころ書いた小説です。読了所要時間はおよそ5分です。)

 

 

 

 

「お腹痛い」夜中に娘がそう言った。電気を点けて娘を見ると、苦しそうな顔をして脂汗を額ににじませていた。
「お腹痛いのか?」
「お腹痛い……」娘の息が切れていた。横で寝ていた妻も起きた。
「どうしたの?」
「ハナがお腹痛いって……」ぼくは10歳の娘のハナをさする。
「お腹痛い……」ハナは苦しそうだった。
「あ、そう。うるせぇなぁ。」
「ごめんね」ぼくは引きつった顔で謝った。妻はぼくたちに一瞥もくれず、言った。
「そういうのはリビングでやれよ。てゆうか電気つけんなよ。明るいと寝れないんだよ!」吠える。
「うん……」
「じゃあわかったんならさっさと下行けよ!」吠える。
「うん、ごめん……」
「ったく!馬鹿!ちっ」
 吠える。
 リビングのソファにハナを横たえ、タオルでハナの体を這うぬめりを拭いてあげた。
「大丈夫かい?ハナ……」
「お腹痛い……」
「トイレに行こう」
 ハナを抱えてトイレに入る。便座に座らせ、お腹をさすってあげる。いっこうに出る気配はなく、ハナは「お腹痛い」と呻くばかりだった。
「吐きそう?」
 ハナは首を横に振った。しかし顔はどす黒くなっていき、歯を食いしばっていた。そのうち体が震え始め、尋常ではない様子になり、ぼくはたまらなくなって救急車を呼んだ。妻に病院へ行くことを告げる。
「ハナを連れて病院行ってくるね……」
「…………」返事はなかった。いびきをかいて寝ていた。起こさないように気を付けて寝室の扉を閉めた。聞こえないように舌打ちをした。
 ソファのハナは少し落ち着いたようだった。息は切れていたが、顔のどす黒さは少し抜けたように見えた。床がびしょびしょになっていた。どうやらおしっこを漏らしたらしい。こんなにも苦しんでいるのだから漏らしても仕方がない。雑巾で拭く。後で怒られるといけないからきっちり拭いて、ファブリーズをかける。優しい匂いがした。冷たい匂いがした。
 救急車が到着した。外に出なければならない。
「ハナ、立てるか?」
 ハナは返事をしなかった。口の傍から泡がこぼれていて、どうやら気絶したらしかった。ぼくはお姫様抱っこで(ハナがこうすると喜ぶのだ)ハナを抱きかかえた。ハナ、大きくなったな。少し重くて、優しい匂いがして。泡がぽたぽた床に落ちた。あとで拭かなければいけない。怒られる。
 救急車に乗ると隊員は電話をしたりして忙しそうだった。早く、一刻でも早く出発してほしい。ハナはその間にも苦しんでいるのだ。悠長な時間が流れる。
 ハナは時々バタバタと手足を動かした。泣き叫び、「いたいいたい」と連呼し、何度も尿を漏らした。あんまり涙を流しておしっこをするものだから干からびるんじゃないかしら、と思って怖かった。ぼくはハナの手を握って泣いていた。
「はやく!はやく出発してくれぇぇええ!!」ぼくは甲高い声で叫んだ。「はやくぅぅぅうううううううう!!!」すると隊員たちはぎょっとして、すぐに救急車は走り出した。
 救急車はとても揺れた。


 病院に着くとすぐさまハナは手術室に入れられた。ぼくは外のベンチに腰かけていた。
 翌朝の9時ぐらいに手術は終わった。随分と長かった。手術室からハナは管を巻かれて出てきて、集中治療室とかいうゴツイ部屋に入れられた。面会謝絶。
 変な名前の医者らしき人物が「話がある」。
 ぼくはハナに会いたかったが、無理矢理そいつに連れて行かれた。
「お父さん、一体どういうことでしょうか」
「ぼくはあなたのパパじゃないですよ」
「…………ハナちゃんは妊娠してました。知らなかったのですか?あんなにお腹が膨らんで、臨月になろうとしていました」
「そうですか!じゃあ、あの腹痛はもしかして……!」
「……」
「いやぁ!そうかぁ!赤ちゃんはどうでしたか?」
「残念ながら、亡くなりました」医者は低い声でそう言った。「では、あなたはハナちゃんが妊娠していたことを知らなかったのですね?」
「はい!まったくもって!最近ハナの腹が出てきたなぁ、とは思ってたんですけどねぇ。まさか赤ちゃんだったとは!」
「では誰の子かもわからないのですね?」
「いいえ!」ぼくには自信があった。
「間違いなく!ぼくとハナの子です!だから本当に死んでしまって残念ですよ……」
 医者は首を前に出し、なんだか不細工な顔で、引きつった目を瞬かせた。おもしろい。
「…………奥様は?いらっしゃらないのですか?」
「家で寝てると思います。寝坊助だから。妻はぼくとハナのことが嫌いなんです。ぼくもあの畜生のことは大嫌いですのでね、ハナとの子どもを作ろうと思ったんですよ!ハナは妻とぼくの子だけど、ぼくがハナと子どもを作ればもっと純粋な子どもが生まれると思って。新しい家族が欲しかった」
「なんという…………」医者はうつむいて震えていた。
「でも先生、ハナは生きているんですよね?」
「もちろんですっ!」医者は顔を赤くして答えた。
「それならよかった!また作ればいい!よかったよかった!」そう、また作ればいい。
「残念ながらハナちゃんはもう二度と子どもを作れない体になってしまいましたよ。子宮を摘出しましたからね!!」医者は机をたたいてぼくに厳しい視線を向けた。怖い。ぼくは診察室から逃げた。


 子どもを作れないことは、もちろんぼくの悲しみだ。それなのにあんな顔することないだろう。人の心がないのか。


 おなかすいた。そう思ってあくびをした。お金ないけどどうやって帰ろう。医者は何か言うが、何を言ってるのかわからなかった。ぼくの無精髭が伸びていた。すると、おまわりさんがぼくに話しかけるのだ。一緒に来てくれませんか。なぜか、しばらくは帰れそうにないらしい。ぼくは帰って、廊下に垂らしたハナの泡を吹かなければならないのに。
 おなかすいたし眠かった。
 

(完)

 

 

 

 胸糞の悪い話ですみません……。

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