蟻は今日も迷路を作って

くだくだ考えては出口のない迷路に陥っている

Twitterでできる表現活動について考えてみた

 日の夜にこんなツイートをしてみた。

 

 私の「母」と語る者にツイートさせた。

 そして次のように続けた。

 

  Twitterでこのような発信をすることでフィクションを超えたノンフィクションになるのではないか、という試みを思いついたのだ。

 するとフォロワーさんから反応があり、心配する声、もちろんこれが狂言だとわかってノってくれた人の声、中にはマジで心配する人、私の頭を心配する声もあり、おもしろかった。

 フォロワーさんを騙すことになって心苦しかったが、やってみたかったのだからしょうがない。「私自身」がフィクション的な存在になる試みなのだ。そしてこれは、情報のやり取りが早く、嘘を嘘であると見抜きにくいTwitterでしかできないことだった。インスタグラムやFacebookでもできるだろうが、生憎私はやっていない。

 そして大事なのが、「蟻迷路」のアカウントが創作アカウントで、フォロワーがそれなりに多いということだ。他の日常アカウントでは私の狂言にノってくれる人はいないだろう。

 案の定、多くの人が面白がってくれたし、最初のツイートは50以上のいいねがされ、リツイートもされた。

 リツイートが回ったのか、そのうち相互でもなければフォローもされていないアカウントからも反応され、普段の私を知らない人にはこの狂言が本当に「本当」だと思われたかもしれない。申し訳ない。

 

 

 こんな感じの気味の悪いツイートをするのは、楽しい。

 「座敷牢」がある家ってなんだよ。『カスパー・ハウザーの謎』かよ(そういう映画がある)。

f:id:arimeiro:20190319174347j:plain

 どこか危なげで、でも息子想いで、人当たりも良い母を演じるのは、楽しい。

 私の当初の計画では、一週間くらい続けるつもりだった。ブログでもわけわかんないことを発信するつもりだった。しかし、誤算があった。

 

 途中で、飽きちゃったのだ。

 

 そして、マジでどうしよう……という無責任な恐怖感があったのだ。

 最初のツイートが思いの外(ほか)回されてるし、質問箱にセクハラみたいな投稿がされるし(いつものことだけど)、本当に混乱している人もいるし。

 そんで、みんなも飽きはじめてるし。

 私は考えた。どうするべきか。考えても仕方がなかった。とりあえず寝て、明日の昼までは「母」Twitterに馴染ませることにした。

  いかにも母をやっていそうな人がするツイートをしてみた。

  楽しい(笑)

  座敷牢の設定も忘れず、子育て関連のツイートもするあたり、いかにも中年のおばさんって感じがしていいのではないだろうか。このツイートは引用リツイートされて全然知らない人に意見されてしまった。申し訳ない。

 

 おおよそやってみたところ、だんだんフォロワーが飽きている感じが伺えた。私も楽しかったが、飽きてきた。それに、私自身中年のおばさんではないので、どんなツイートをすべきかわからなくなってきた。

 もっと年の近い妹あたりでやるべきだったと反省。妹の視点から母と息子のいざこざをツイートすべきだった。

 でも迫真に近付くほどフィクションは現実世界で止めようもなく動き出し、もはや私の力では制御しきれなくなってくる。絶妙なフィクション感が大切なのだ。マジの迷惑はかけられない。

 

 そして昼に、流れを変えるツイートをした。

  一気にフィクションぽくなってきた。

 

もっと頑丈な、柵ではなく、四方を壁に囲んだ、座敷牢が、いる

— 蟻迷路 (@arimeiro) March 19, 2019

 

 

  この母、狂気か。

 「先生」と呼ばれる謎の人物がなんか怖いですね。含みを持たせることで世界観を広げる。サイコホラーミステリの空気をタイムラインに流す。

 ここで一気にフィクションらしくする。

 

 そして、決着。

  種明かしをこの後のツイートでダラダラやる。

 

 

 

 

 

 

 自分自身が小説になる体験というのは、すこし形は違うけれど昔から私小説という形態で存在し、フィクションの形態で現実を書き込むことで成立していたが、今の時代はインターネットを使ってそれができる。そして、Twitterを使えば、読者参加型のフィクションを作れる。

 

 インターネットは相手の顔が見えないし、相手がどんな人間なのか、本当のところはわからない。だから出会い系サイトや匿名掲示板で自分の容姿や社会的地位をを偽る者が出現し、相手を騙して怖い思いをさせたりするケースが可能になるのだ。

 相手が誰なのか本当のところはわからない中で、インターネットのコミュニケーションというのは人間の「信頼」で成り立っているのではないだろうか。

 それを悪いように使えば犯罪ができるし、おもしろく使おうと思ったら今回のようなフィクションを作り出せるのだ。せっかくTwitterで創作をしているのだから、こういうことをしてみたっていいじゃないか。そういう試みだ。

 

 似たような試みは以前に「質問箱」(匿名の質問を他者から受け、回答をするアプリ)でもやってみたことがあって、そのツイートはワケあって消してしまったのだけど、#質問箱小説 というハッシュタグでやってみたものだ。

 半ば荒らしのような、フィクションまがいの質問を自分の質問箱に投稿し、その回答をフィクションでする。上の句が質問で下の句が回答、という感じをイメージしてもらいたい。下の句(回答)で上の句(質問)のオチを付けるのだ。

 

 Twitterというリアルと幻想が入り混じった空間では、嘘と真実の見分けはつきにくい。そこを利用したフィクションの表現。私はそういうのが好きだ。

 そのフィクションから見えてくる真実。リアリティを追求する体験型のフィクション。

 Twitterに利用されるのではなく、ツールは利用したい。本来ツールとは使うものだ。

 でも悪用すると簡単に人を陥れることができるし、危険だ。マジの迷惑をかけるのは本望ではないので、やってみたい人はやってみればいいけど、注意が必要である。

 

 

 ところで、普段とは違う人になりきってTwitterをやってみるのは、おもしろい。

 ぜひやってみてはいかがだろうか。

 

 

 

 

追記

 この企画をやって以降、Twitterのフォロワーが減り続けています。

 

twitter.com