昨日の夜にこんなツイートをしてみた。
いつもお世話になっております。
— 蟻迷路 (@arimeiro) March 18, 2019
蟻迷路の、母です。
最近、息子は昼からお酒を飲んで「春ダァ、桜ダァ」と騒いでばかりいます😥
そうでなければ、メダカの水槽の前で、甲高い声で、誰かと会話をしています😥
息子がこうなってしまったのは、この、Twitterの、せいです。
息子を、返してください。
私の「母」と語る者にツイートさせた。
そして次のように続けた。
息子が、やっていた、140字小説、ですか?難しいですね。
— 蟻迷路 (@arimeiro) March 18, 2019
あとで、できたら私もやってみたいと思って、おります。
母
ネタツイの方も、私なりにやっていければな、と思っております。
— 蟻迷路 (@arimeiro) March 18, 2019
私のツイートは、息子から取り上げたスマートホンで、やっております。
息子は、座敷牢で、なにやら吠えております。
食事を与えてきます。
母
Twitterでこのような発信をすることでフィクションを超えたノンフィクションになるのではないか、という試みを思いついたのだ。
するとフォロワーさんから反応があり、心配する声、もちろんこれが狂言だとわかってノってくれた人の声、中にはマジで心配する人、私の頭を心配する声もあり、おもしろかった。
フォロワーさんを騙すことになって心苦しかったが、やってみたかったのだからしょうがない。「私自身」がフィクション的な存在になる試みなのだ。そしてこれは、情報のやり取りが早く、嘘を嘘であると見抜きにくいTwitterでしかできないことだった。インスタグラムやFacebookでもできるだろうが、生憎私はやっていない。
そして大事なのが、「蟻迷路」のアカウントが創作アカウントで、フォロワーがそれなりに多いということだ。他の日常アカウントでは私の狂言にノってくれる人はいないだろう。
案の定、多くの人が面白がってくれたし、最初のツイートは50以上のいいねがされ、リツイートもされた。
リツイートが回ったのか、そのうち相互でもなければフォローもされていないアカウントからも反応され、普段の私を知らない人にはこの狂言が本当に「本当」だと思われたかもしれない。申し訳ない。
息子が、やっと、大人しくなりました。暴れすぎて、疲れたみたいです。
— 蟻迷路 (@arimeiro) March 18, 2019
座敷牢の藁で、すやすや眠っています。
23歳になっても、寝顔はまだ、あの頃を思い出させますね。
母
こんな感じの気味の悪いツイートをするのは、楽しい。
「座敷牢」がある家ってなんだよ。『カスパー・ハウザーの謎』かよ(そういう映画がある)。
どこか危なげで、でも息子想いで、人当たりも良い母を演じるのは、楽しい。
私の当初の計画では、一週間くらい続けるつもりだった。ブログでもわけわかんないことを発信するつもりだった。しかし、誤算があった。
途中で、飽きちゃったのだ。
そして、マジでどうしよう……という無責任な恐怖感があったのだ。
最初のツイートが思いの外(ほか)回されてるし、質問箱にセクハラみたいな投稿がされるし(いつものことだけど)、本当に混乱している人もいるし。
そんで、みんなも飽きはじめてるし。
私は考えた。どうするべきか。考えても仕方がなかった。とりあえず寝て、明日の昼までは「母」をTwitterに馴染ませることにした。
おはようございます。
— 蟻迷路 (@arimeiro) March 19, 2019
皆様にとって、今日が良き日でありますように。
母
いかにも母をやっていそうな人がするツイートをしてみた。
Twitterって、ついつい見てしまいますね。
— 蟻迷路 (@arimeiro) March 19, 2019
いかんいかん💦
さっ、午前中にやることは終わらせましょ♪
母
楽しい(笑)
親の体罰禁止が、閣議決定🤔
— 蟻迷路 (@arimeiro) March 19, 2019
私は、賛成です🙋♀️
私は、子どもを殴ったことは、ありません👼
「座敷牢」がありますから✨✨👼
母
座敷牢の設定も忘れず、子育て関連のツイートもするあたり、いかにも中年のおばさんって感じがしていいのではないだろうか。このツイートは引用リツイートされて全然知らない人に意見されてしまった。申し訳ない。
おおよそやってみたところ、だんだんフォロワーが飽きている感じが伺えた。私も楽しかったが、飽きてきた。それに、私自身中年のおばさんではないので、どんなツイートをすべきかわからなくなってきた。
もっと年の近い妹あたりでやるべきだったと反省。妹の視点から母と息子のいざこざをツイートすべきだった。
でも迫真に近付くほどフィクションは現実世界で止めようもなく動き出し、もはや私の力では制御しきれなくなってくる。絶妙なフィクション感が大切なのだ。マジの迷惑はかけられない。
そして昼に、流れを変えるツイートをした。
息子が、座敷牢から、消えていました。
— 蟻迷路 (@arimeiro) March 19, 2019
母
一気にフィクションぽくなってきた。
どこにも、いない
— 蟻迷路 (@arimeiro) March 19, 2019
母
座敷牢には、厳重な鍵をかけた。
— 蟻迷路 (@arimeiro) March 19, 2019
鍵はかかった、ままだった。
中身がどこにも、いない。
息子に見えた獣は、すり抜けて消えた。
壁の中にも、ピアノの中にも、中学生の頃描いた絵の中にも、いない。
母
もっと頑丈な、柵ではなく、四方を壁に囲んだ、座敷牢が、いる
母— 蟻迷路 (@arimeiro) March 19, 2019
子宮のような
— 蟻迷路 (@arimeiro) March 19, 2019
母
先生の、言うとおりに、したのに
— 蟻迷路 (@arimeiro) March 19, 2019
母
この母、狂気か。
「先生」と呼ばれる謎の人物がなんか怖いですね。含みを持たせることで世界観を広げる。サイコホラーミステリの空気をタイムラインに流す。
ここで一気にフィクションらしくする。
そして、決着。
蟻迷路です。
— 蟻迷路 (@arimeiro) March 19, 2019
母からスマホを取り返しました。
母は現在、寝室にこもって独り言つをしたり、時々甲高い声でなにやら叫んでいます。
うちには座敷牢なんてありませんし、私は虐待を受けてはいません。
事の真相をお話しすると、母は最近自立しようとする私に危機感を抱いていたようです。→
種明かしをこの後のツイートでダラダラやる。
→従順だった息子が母に反抗しているのはなぜか考えたとき、母に閃いたのは、その原因は私が熱中しているTwitterにあるのではないか、と思ったのではないでしょうか。
— 蟻迷路 (@arimeiro) March 19, 2019
Twitterで変な話を吹き込まれたのでは?
そこで、私から無理矢理スマホを取り上げ、母子手帳に挟んで隠しておりました。→
→そういうところが本当に嫌なんだ、おれは4月から自立して生活をする、母の束縛にはもう耐えられない、と昼に伝えたところ、母は狂乱して暴れまわりました。
— 蟻迷路 (@arimeiro) March 19, 2019
なんとかスマホを取り返せたので、今はこうしてツイートできています。
皆様には多大なるご迷惑をおかけしました。申し訳ありませんでした。
→昨日夜のツイートを見たところ、座敷牢とは、どうやら母が精神的に作り出した、子を制御する機構だったようです。
— 蟻迷路 (@arimeiro) March 19, 2019
私が明確に反抗の態度を示したことで母の中で私は座敷牢から抜けたのでしょう。
→母は可哀想な人なんです。
— 蟻迷路 (@arimeiro) March 19, 2019
どうかそのところを、息子としても皆さんにご理解いただきたい。私にも原因がありました。反省します。
この度は誠に申し訳ありませんでした。
これからは母を監視したいと思います。
私は狂言師を目指して、これからも頑張りたいと思います。
ありがとうございました。
自分自身が小説になる体験というのは、すこし形は違うけれど昔から私小説という形態で存在し、フィクションの形態で現実を書き込むことで成立していたが、今の時代はインターネットを使ってそれができる。そして、Twitterを使えば、読者参加型のフィクションを作れる。
インターネットは相手の顔が見えないし、相手がどんな人間なのか、本当のところはわからない。だから出会い系サイトや匿名掲示板で自分の容姿や社会的地位をを偽る者が出現し、相手を騙して怖い思いをさせたりするケースが可能になるのだ。
相手が誰なのか本当のところはわからない中で、インターネットのコミュニケーションというのは人間の「信頼」で成り立っているのではないだろうか。
それを悪いように使えば犯罪ができるし、おもしろく使おうと思ったら今回のようなフィクションを作り出せるのだ。せっかくTwitterで創作をしているのだから、こういうことをしてみたっていいじゃないか。そういう試みだ。
似たような試みは以前に「質問箱」(匿名の質問を他者から受け、回答をするアプリ)でもやってみたことがあって、そのツイートはワケあって消してしまったのだけど、#質問箱小説 というハッシュタグでやってみたものだ。
半ば荒らしのような、フィクションまがいの質問を自分の質問箱に投稿し、その回答をフィクションでする。上の句が質問で下の句が回答、という感じをイメージしてもらいたい。下の句(回答)で上の句(質問)のオチを付けるのだ。
Twitterというリアルと幻想が入り混じった空間では、嘘と真実の見分けはつきにくい。そこを利用したフィクションの表現。私はそういうのが好きだ。
そのフィクションから見えてくる真実。リアリティを追求する体験型のフィクション。
Twitterに利用されるのではなく、ツールは利用したい。本来ツールとは使うものだ。
でも悪用すると簡単に人を陥れることができるし、危険だ。マジの迷惑をかけるのは本望ではないので、やってみたい人はやってみればいいけど、注意が必要である。
ところで、普段とは違う人になりきってTwitterをやってみるのは、おもしろい。
ぜひやってみてはいかがだろうか。
追記
この企画をやって以降、Twitterのフォロワーが減り続けています。