運よく、書いたものが誰かの目に留まって実写ドラマ化されて、放映され、先日放送が終了した。
私は140字小説界隈では弱小の部類、なぜ私が?という疑問もあった。
実力どうこうではなくて運が良かったのだ。運が良くて良かったと思った。
#140字の恋 最終話ありがとうございました☺️
— ドラマ『140字の恋』【TVerで全話配信中】 (@tsubukoi140_ytv) March 27, 2021
見逃し配信は引き続き全話お楽しみいただけます📺
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ぜひ何度もご覧いただき、まだまだ #つぶ恋まにア の輪が広がれば…!✨
毎日続いたこの企画もこれで最終回🌸
【#ツブヤカメラ📸No.12】
最後は笑顔で☺️#崎山つばさ #鈴木愛理 pic.twitter.com/CCUT3utXfV
まだ無料配信中なので、よかったら見てほしい。
主演の鈴木愛理ちゃんは特に可愛いので、よく見てほしい。(私は鈴木愛理ちゃんみたいな妹がほしい。鈴木愛理ちゃんの兄になりたい。)
崎山つばさ さんも演技の幅が広くてこれから楽しみな俳優さんだ。
私の原作は第二話で使われている。
ベランダから夕暮れの街を眺めていると、マンションの下で私を指差した男がいた。
— 蟻迷路 (@arimeiro) August 8, 2019
誰だろう。気味が悪い。男は物々しい顔で私を睨みつけ、エントランスに走った。
来る。直感でそう思った。男はこの部屋に来る。確実に。
私は急いで荷物をまとめ、玄関を飛び出した。あの男はたぶんこの部屋の住人だ。
この作品のタイトルは『泥棒だ!』
オチで正体は泥棒とわかる叙述トリック的なものを目指して書いたのだけど、ドラマだと一概に泥棒とも言えなくて、ストーカーとか霊とかさまざまな見方を読者(視聴者)に委ねる脚本になっている。
ドラマ自体が「さまざまな解釈ができる楽しさ」をテーマのひとつにしているみたいだったし、私は学生時代に原作とメディアミクス化について学んだこともあり、原作改変については原作者ながら特に不満も持たず「へぇ、こうやって脚本家と監督は解釈して作品に仕上げたのね」と面白く見ることができた。
鈴木愛理ちゃんが私の原作のせいでなにかしらの変態になってしまった、それだけで大満足である。
10月か11月くらいに読売テレビの方にお声がけいただき、それから情報解禁までの間に、私は数えるほどしか140字小説を書いていない。
ドラマ化に向けて、ちょっとでも盛り立てようと半ば義務的な気分でいくつか書いたに過ぎない。そうしないと、こんな弱小なアカウントがドラマ化なんておこがましくて申し訳ないと自意識過剰に思っていた、強迫的な気持ちだったのだ。
でも、書けなかった。
なぜなら、私の中で140字小説はもう「終わったもの」で、自分で書く気も起きなければ人の作品を読む気にもなれないでいるのだ。少なくとも前ほどの熱意を持って読めなくなってしまった。
自分でも急激に冷めたのが怖い。ここ一年半くらいそういうかんじで、はっきり言って自分の中でオワコンになってしまった。
一度冷めると怖いもので、ぜんぜん次の話を考えるアイデアも浮かばなくなる。全盛期はイエローストーンの泉のように湧いていたアイデアが、いまや小便小僧の残尿みたいになってしまった。
ちょろ……ちょろ……。
そしてそんなアイデアは近づくと異様なニオイがする。溶けたバターみたく黄色く泡立っている。
自分でも「どうなんだろう。つまらないな」って気持ちで書いた140字小説は、もちろんつまらない。
この一年半くらいはどうやって、どのようにして区切りを付けようか、その問題を放置したままダラダラ過ぎてしまった。
辞めるに辞めれない、なにか中途半端だな、と自分の中でも有耶無耶にしていた。結局どうしたいのか自分でもよくわからなかった。
そんなときにドラマ化の話が来て、ああ、よかったと私はまず思ったわけだ。
「これで一区切りいれて、辞められるぞ」
趣味でぷつぷつ書いていたものがドラマ化されて、それ以上私はもうなにもいらないし、こんな幸福なこともなく、たいへん満足でした。とても恵まれている。信じられないほど。
140字小説を書いていたことでできた繋がりもあって、いくつも心を動かされたことがあるし、書いてきた後悔というものはまったくないです。
ありがとうございました。
でももう冷めちゃったので、今後140字小説を書くことは無いでしょう。
楽しかった~。
ブログとTwitterは辞めないけど、140字小説はもうやりません、という話。
たまーに、思い出したように書くかもしれないけど、「140字小説の人」としてやっていくのはこれで区切りにしたい。