スピッツとの出会いは母の友人の車の中で聴いた小学生の冬だった。
当時、母が悪霊に取り憑かれて生活が窮して困っていたところ、母の友人の地元にお祓い士がいるということで、その冬、退魔すべく私と妹はそれに付き添ったのだった。どんな前提だ、と思われるかも知らんが、事実そうだったのでしょうがない。これはフィクションではないのだ。
軽自動車に揺られながら、九州のある地方をドライブしていた。 そこで流れていたのがスピッツのcycle hitsというベストアルバムであった。
小学生ながら、いいな、と思った。
拙者は「メモリーズ」という曲がお気に入りであった。
九州の冬はそれなりに寒くて、雪すらも降っていた。私の住む神奈川よりずっと寒かった。お祓い士のいた日本家屋には土佐犬がいて、車を止めると母に向かって激しく嘶(いなな)き、私たちは「こわや」と屋内へ逃げた。
お祓いについてはまたいずれ機会を改めて話すこととして、その時に聴いたスピッツが私の頭からしばらくずっと離れなかった。
スピッツにハマった曲が「メモリーズ」から、という人は少ないだろう。スピッツといえば「ロビンソン」とか「チェリー」とか「空も飛べるはず」とか、世間への露出が多い曲だ。そこからハマったのならわかるが、「メモリーズ」って。
この曲はスピッツの中でも異色の曲で、ラップ調になっており、歌詞もかなり意味不明だし、MVにいたっては理解不能、ややイロモノな感じがする。
でも、「メモリーズ」が私の琴線にふれたのだ。 だからこそ、だったのかもしれない。
サビでエイトビートの刻みが入り、ボーカルのマサムネの透き通った声が旋律を奏でる。軽自動車の揺らぎ。
高校生になり、バンドをはじめた。その時に、あの冬、九州の軽自動車の中で聴いたあの曲をもう一度聴きたいと思った。
しかし、私は曲名どころかバンド名も忘れていた。調べようにも歌詞すら覚えていない。
「〜〜〜ハラハラ〜〜……」こんだけしか覚えていない。漠然とメロディだけは覚えていたけど、まだスマホのなかった時代(あったけど持ってなかった)、シャザーンなどの音楽検索アプリも知らなかったから、調べようもなかった。
軽音部の人に「ナントカカントカ〜〜ハラハラ〜〜みたいな曲知らない?」ときいても知ってるはずもなく。コンピュータで僅かな情報を頼りに調べるしかなく、なんども挫折した。
ああ、あの曲をもう一度でいいから聴きたい。
母と友人はなにか関係に亀裂があったようで、音信不通になっていた。大人の都合により、九州で得た年下の友だちや、温かい思い出が、めちゃくちゃに壊されてしまって、それ以来うちでは九州の思い出を語ることはない。心の海の底にひっそりとしまわれた思い出。
そんなある日のことだ。
YouTubeでドマイナーなバンドを発掘するのに勤しんでいたとき、たまたまスピッツのMVがオススメに入っていて、そういえばスピッツなんて聴いたことないなぁ有名だし聴いとこ、と動画を開いた(スピッツ、めちゃくちゃメジャーなのに、なんでオススメに入っていたのかわからない)。
それこそが、私が探していた「メモリーズ」だった。
肝心なときに役にも立たないヒマつぶしのストーリー
簡単で凄い効果は絶大 マッチ一本の灯り
不自然なくらいに幼稚で切ない 嘘半分のメモリーズ
ひっぱり出したらいつもカビ臭い 大丈夫かな?メモリーズ
カビ臭くて古ぼけたあの冬の思い出が蘇った。なにも役に立たない、あのフィクションみたいな冬の思い出が私の胸の奥でそっと光った。
私はこの時、スピッツと再会し、二度目の出会いを果たしたのだった。
九州で得た年下の友だちは元気だろうか?
結局、現在になっても彼とは会えていない。今更会ったところで気まずくなって沈黙の重さに耐えられないだけだろうから、会いたいと切に願うほどじゃない。
ただ、彼が元気で健やかならそれでいいのだ。
あの土佐犬はどうしただろうか?
退魔を終えた母に土佐犬が吠えることはなかった。関心もくれず、粉雪の冷たさに男らしく耐えている姿は活き活きとした石像のようだった。
「メモリーズ」を聴くたびに、そんなことを想う。
海の底で時々光っては、海底を仄かに照らしてくれる。
スピッツは今も精力的に活動していて、朝ドラの主題歌を歌ってますね。生涯現役なのだと思う。
またこの画像使うのかよ。