無ぇぇぇええええ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
目標なんて無いよ。
でも、令和の時代に私の人生の中編は作られるのだろうな。青春編が平成だったから。
平成は犬と暮らしたり、恋をしたり、生徒会長をやったり、受験に失敗したり、就職したり、複雑な家庭環境にコンプレックスを持ったり、サークルで浴びるほど酒を飲んで翌日の便が灰色になったり、インフルエンザの治った翌日にノロウイルスにかかったり、栗だと思って拾ったら犬の糞だったり、トイレが溢れかえったり、まったく、クソッタレであった。
令和ではクソッタレであったとしても、犬の糞を素手で触るようなことがないことを願いたい。
結婚し、子どもができ、親父になり、必死に働き、文章を書きたい。
令和は私たち平成生まれの時代になるんだろうなと昨晩からわくわくしている。
昭和は過去の遺物になり、テレビでは平成の名歌謡曲特集が連日テレ東で放送され、社会システムはゆとり世代のナメた感じになり、太平洋戦争なんて歴史上のことでしょ、と言って非核三原則のバーチャルYouTuberが登場し、芸術は廃れ、本は消滅し、音楽も消滅し、絵画はバンクシー以外なくなり、男と女は完全に別々に生活し、少子化で滅ぶ。いや〜楽しみだ。
そんなことにならないよう頑張りたいと思うので、皆さん、頑張りましょう。漠然と。
でも、内容はどうあれ、令和はおれたちの時代になるんだ!という気概が昨晩から私の中を跋扈(ばっこ)して腹の下りが止まらない。
期待。絶望。いいバランスだ。楽しもう。
私生活の家庭環境がめちゃくちゃだけど、それも笑って語れるくらい(今は笑うしかないので笑ってるけど)になれればいいなと思う。
みんなが幸せになれればいいと思う。
幸せとは富のことではなく、心の豊かさを持って、愛せる力を、許しあえる力を持つことができることだ。私はそうでありたい。諦めと許しは似ているけど、諦めではない許しの力、すなわち愛、を持って令和の街並みを跋扈したい。
「愛なんて。」
そんな時代にならなければいい。
私は祈る。
行為として、願いとして。
独り便座にもたれながら、そんなことを考えた令和の初日だった。胃がもたれているのだ。