蟻は今日も迷路を作って

くだくだ考えては出口のない迷路に陥っている

長距離走について私が語ること。

    が運動会の季節かどうかはわからないが、私の小学校は毎年このくらいの時期に運動会をやっていたような気がする。6月だったかもしれない。

 

    じつは「運動会」と名のつくイベントに参加したのは、小学校が最後だった。

    というのも、中学校と高校に「運動会」がなかったのだ。

    中学校では「陸上競技大会」、高校では「球技大会」が開かれており、どちらも運動会と似たようなものではあったが、「運動会」特有のなんかイベントというか、大玉ころがしとか騎馬戦とか、出し物とか、青春ぽいものはなかった。

    うちの高校はその昔、県内随一の不良高校で少年院を出たら次に入るところ、というポジションであり、毎日パトカーが来るような常に世紀末状態だったらしい。そんな高校で運動会をやったらどうなるか?

 

「よう、オメェ、オレのかわいい後輩をよくも騎馬戦でいなしてくれたなコラ。殺すぞ」

「なんだとコラ、オメェの後輩だか知らねぇけどコッチには山口サンついたんだぞ、死ぬのはテメェだアホが」

「んな山口なんかでビビるかよコラ。金出せば許してやんよ」

「出すわけねぇだろ、ビビってんのか」

「ナメてんのかゴラァ」

「ナメてねぇよ、いいよ木村、帰ろう」

「誰が帰すかよ!おい道具だせゴラァ!」

「なんだよおい!ビビってんのか!撃ってみろ!やれチンピラ!」

「ああ撃ってや「うぉああああああああああ!!!!!!!!!」

 

!?

 

(木村、自らの小指を歯で噛みちぎり、吐き捨てる)

木村「これで、いいんすか!」

 

 

 

 

 

 

     って、ここまでこんなアウトレイジなことにはならないけど、運動会が開かれるたびに大乱闘スマッシュブラザーズになってしまうから、廃止になったらしい。とんでもない学校だ。

    名誉のために言っておくが、今では自称進学校になり、国公立大学に現役で進学する者や早稲田大学など名だたる私立大学に進学する者や、私という悪夢の浪人生を輩出している。

 

 

    私は小学生のときから、100m走よりも長距離に出るタイプだった。

    中学の陸上競技大会ではハードル走に出たが、高校でもマラソン大会があったため、長距離を走る機会があった。

   決して長距離走が得意なわけはない。体力に自信はない。

    だいたい後ろの方だし、汗血馬のごとく血のような汗を流して走る。つらい。どうしてこんな苦行を、と走ってる時は長距離走を選択した自分を呪う。

    それでも、長距離走が好きだった。

 

    だんだん呼吸が上がってきて、視界が狭まり、痰が絡むのに口の中は酷く渇いて、腹が痙攣し、足が走りながら震えてくる。

    ゴールまでのラスト数百メートルの長さときたら、陸上選手でもなければスパートなんてかけれないだろう、私は踊るように走って、ただがむしゃらにゴールテープの向こうを目指すのだった。

    足の裏の感覚がなくなってきて、走ってんのか歩いてんのか、はたまた泳いでいるのかもわからなくなる。心拍数の上昇とともに思考が徐々に切り離されて、なにも考えられなくなる。

    それでも長距離走が好きだったし、そういうところがなぜか好きだった。

 

    

    長距離走は、素人の私としては誰かとの競い合いというよりも、自分との戦いだった。

    長距離走を選択した自分に対する責任。それを果たさなければ男じゃない。私は私を裏切りたくなかった。

    どんなにつらくて走れなくなっても、止まりはしなかった。歩きながらでも走る。泣きながらでも走る。汗と涙とその他体液全般でドロドロになっても、走る。

    

 

    小学生の運動会の1000m走とか、高校のマラソン大会のときの頑張ったあの頃の私が、現在の自分を追い込んだ逆境の中で時々、力をくれる。

 

 

    浪人したときもそうだった。そのうち浪人生のときのことは書かなければならないね。