私の地元を走る江ノ電という電車に昔、雷が落ちたことがある。
それを語る前に、江ノ電とは何なのか説明しよう。
これが江ノ電(えのでん)である。
えのでん、と音だけ聞くと、こんにゃくや大根を貝の出汁で炊いて串に刺した、この地方に古くから伝わる駄菓子的な郷土料理にも聞こえるし、あるいは小山の中腹にある鎌倉時代から続く寺に明治後期に設置された、触るとご利益のある観音菩薩の愛称にも聞こえるけど、あいにく えのでんは電車である。
神奈川県の鎌倉と藤沢を結ぶ、長くても4両編成のミニマムなこの電車は地元民のみならず多くの観光客に愛され、今年で走業70年を迎える。
ちゃんと調べたら119年だった。すごいじゃないか。
江ノ電は海沿いを走り、民家の隙間を縫うように走り、車と並んで街中を路面電車のように走り、紫陽花に囲まれた路地やひまわりの咲く線路沿いを、ごほごほと老人の咳のような音をして必死に走る。
多くの写真やポスター、ドラマやアニメに使われているため、知っている人も多いのではないだろうか。
現在は江の島や鎌倉に外国人観光客が増えたこともあって、中国人や韓国人や東南アジアの人、白人黒人と多国籍な彩りでたいへん賑やかである。
私はこの江ノ電に揺られて小学校に通っていた。
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そんな江ノ電に昔、雷が落ちたことがあった。
大雨の降る夕方、その電車に私と愉快な仲間たち(同級生)は乗っていたのだ。
当時私はなにが好きって、運転の様子を見るのがなによりも好きな小学生だった。その日も鉄道の運転を見ていた。
かなりの雨だったが、江ノ電は小さいながらに速度を落とさず、海沿いを激走していた。江ノ電はそんじょそこらのJRよりも逞しくて、ちょっとの台風では速度も落とさないし、絶対に遅延しないというプライドがある。その日もそうだった。
七里ガ浜(しちりがはま)駅で高校生を乗せ、旧式の車両は重い腰を上げる骨のうなりのような音で出発しようとしていた。
そのときだ。
キャン!という音なのか光なのかもわからない、ともかく「衝撃」が、運転席の窓の右上に火花を散らした。
運転士が飛び上がって、椅子から転げ落ちそうになった。驚いたのだ。感電じゃない。
直後、停電して電車は動かなくなった。電気がないと電車は動かないのだ。
光った窓の右上からは小さな煙がすすすと昇っていて、なんだか尋常ではないどよめきが車内を満たし、同級の仲間たちもキョドキョドしていた。だれも、何が起こったのかわからなかった。
金属の溶けるようなにおいがした。雨は容赦なく降りつけていた。
夏の雨の日の満員電車は暑くて蒸す。その旧式の車両はクーラを備え付けておらず、半分むき出しの扇風機が頭上で回っていた。停電したので、扇風機だけは静かだった。
これではあかん、ということで駅から車両の先っちょだけ出ていた電車はドアを開け、乗客全員をホームに待機させた。
ものすごい混雑だったし、人々は混乱していた。私は非日常な状況を小1ながら楽しんでいたと思う。泣いている女の子だっていたのに。
その女の子が、あまりパニックになって、ゲボを吐いた。
私はそれでも笑っていたと思う。神経がこのころからどうかしていたのだ。なんで吐くのん?と可笑しかった。
こんな状況で吐くなよ。
周りの大人たちは彼女に水を与えたり、ビニール袋をあげたり、ティッシュを与えたり、背中をさすったりしてなだめていたけど、当の本人はというと突然のゲボに自分でも驚いたらしく、きょとんとしていた。
きょとんとするなよ。
それがまた可笑しかった。ある意味私もパニックだったのかもしれない。
そういえば私はパニックになると無性に笑う癖がある。浪人することが確定したときも部屋で笑った。
その後江ノ電は、まことに驚くべきことに、動き始めた。
単線であるためにっちもさっちもいかなくなり、乗客を乗せて、複線になる駅まで時速20キロくらいでのろのろ走り、そこでついに沈黙した。
その車両は先ほども言ったように扇風機がついている旧式で、床は板張りで木の甘いにおいがするし、客席は硬いパンのようで、窓は小さく開けるのが重かった。
だからもう二度と動かないだろうと思ったのだが、動いた。すごい生命力である。
動いたし、修理して、現在もたまに走っている。
話はそれだけだ。
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あのときゲボしちゃった女の子は、今どうしているだろうか?
中学まで一緒で、高校を出た後美容専門学校に通いスタイリストになったことを3年前Facebookで見かけたけれど、あれ以来見ていない。
今会って、あのとき君吐いたんだよね、なんて言って笑うような人間ではないけれど(信じてもらえないだろうけど、ほんとうにそこまで最低な人間ではないのだ私は)、今日みたいに、帰り道、遠くの空を覆う雲が雷で光っているのを見ると、どうしてもあの日江ノ電に落ちた雷と、あの子のことを思い出してしまう。
十数年前のそんなことをいまだに覚えているなんて、他人が私だって忘れている私の過去のなにを覚えていたって不思議ではない。
日頃の行いに気を付けようと身を引き締める。たとえばゲボを吐いた人を笑わないようにしよう。
私が本当に書きたかったのは、そのことに尽きる。