日本には四季がある!ってドヤ顔でメディアは言うけど、テレビの情報に踊らされてはいけませんよ皆さん。まもなく四季はなくなるのだ。
なにも私が四季を無くすのではなくて、地球温暖化によって四季は失われると言いたい。
最近、春と秋が希薄な感じがする。そんな気がしませんか。
春と秋が少なくなって、夏と冬が長い。昔は、と言っても10年くらい前まで、私が子供だった頃は、もっと春と秋は濃密で、季節は緩やかに流れていた気がする。
今は、明日から夏でぇ〜〜〜〜す!みたいな、バカの考えた天気みたいになってて、それはそれでまさしく能天気でいいのだけど、なんかなぁと思うし、いいわけないのだ。そのうち枕草子が通じなくなる時代が来るなら、とても悲しいことで、いとわろし。
去年の秋なんて、秋と呼べる季節の色があったのはほんの2週間程度だったように記憶している。私はそれがとても淋しかったと記憶している。
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そのくせ、ちゃんと梅雨はやってくる。
6月に入るや否や、待ってましたと言わんばかりに梅雨入りが宣言され、天気は連日曇り、湿度は増して生ぬるい風、時折覗く晴れ間の回数が徐々に減っているのが梅雨の訪れを思わせる。
私は梅雨が大嫌いなんである。
梅雨というか、湿気が無理なんである。
なんか湿気があると、頭の中に鬱屈が溜まっていって、淀み、川の流れのそばで流れから外れた泥水の溜まりのようなものが頭の中でどんどん肥大していく感じがあって、思考の夾雑物(きょうざつぶつ)が氾濫して、鬱、に呑まれていきそうになるんである。それは、ひじょうに、嫌悪なんである。
ゆえに、湿度が高いと私はイライラしてそのへんの土産物をぶち壊したのち破片を拾いながら泣きたくなってくるのだけど、理性的人間なのでそんなことはしない。
いちどわけのわからないぬいぐるみをハサミで切りつけたことがあったけど、綿を吐くばかりでなんの解決にもならなかった。
湿気を取り除くにはエアコンを「ドライ」にしたり除湿機を起動するしかない。
この季節に除湿機(プラズマクラスター)を起動すると、がんがん水分がたまっていき、ちょっと嬉しいのは私だけじゃないはずだ。
タンクに貯蓄された水は、私の部屋を漂っていた正体不明の水だ。元は私の体液だったかもしれないし、窓の結露だったかもしれないし、あるいは花の蜜だったかもしれない。そういったわけのわからない水が溜まるのはなんか嬉しい。私たちは水に囲まれて生きてるんダナ、ってわざとらしく感慨深く思う。水を大切にしようと思う。僕ら水の子どもなんだ。
しかし、そんなものやったところで梅雨の根本的問題は解決されない。なにが水の子どもだ。バカか。
梅雨というか、もはや夏が終わるまでは湿気の問題からは解放されない。湿度にうなされ耐えるしかなく、私は陸で溺れ続ける。いい加減泳げるようになりたい。
梅雨を愛せたらな、と思う。
梅雨の雨がなければ農作物は育たないし、水遊びもできない。それができない夏なんて、価値がない。
梅雨は嫌な面の一方を持ちつつもそういった恵みでもあるから、だからこそ、私は梅雨を愛したいと思う。
でも、農家でもない私がどうして梅雨を愛せるだろうか?字面だろうか?梅の雨なんてステキな名前がついてることを慶べばいいのだろうか?バカか?はじめて梅雨を知った人か?
そんなことを考えながら街を歩いていたら、紫陽花が咲いていた。
りんりんと爽やかに咲(わら)うそれは光って見えた。
ああ、なんだ。
6月を愛する理由は簡単に見つかった。