昨日は恋人の家族が我が家にやって来た。
最寄りの大きな駅の街で昼食をともにし、その後アパートの我らが巣へ招いた。
ご家族は、我々にとってはじめてのお客様でもあった。
二人で暮らすための部屋だから、食器や椅子が充分に足りていなくて、今後来客があったときにもどうするか課題が浮かび上がった。一式のグラスくらい揃えた方が格好がつく。
お茶を淹れて、いただいたケーキを食べ、部屋を見学し、ああでもないこうでもないといろいろ話した後、少しゆっくりされてから、恋人の家族は満足したように帰っていった。
帰りのタクシーを電話で呼ぶと、あと3分ほどでそちらへお迎えに上がる、とオペレーションセンターのお兄さんは威勢よく言い放ち、そんな早く来るかと疑って外へ出ると、実際にタクシーはよくしつけられた犬のように忠実な足取りで角を曲がってきて、静かにアパートの前へ腰を下ろした。
そしてご家族を乗せると、よくしつけられた犬がそうであるように息も漏らさず すくりと立ち上がって、静かに雨の東京を走り去っていったのであった。
部屋にまた、私と恋人だけになった。
急に静かになって、部屋はがらんとして、雨はどこか寒々しかった。
私たちは布団に潜り込んで、何も言わず、雨どいを流れる水の音を聞きながら、二人でいることを確かめ合うように抱き合った。
雨は朝から降り続いていたけど、とても好感の持てる小さな雨だった。
きっとこの雨では物語の世界を変えられないだろうな。あまりにも意味が無くて寄り添うような雨だから。雨音を聞きながら古いギターを弾きたくなるような、親密で、なにか幸せを運んでくる気配のある雨だ。。
そこらの街路樹や庭の木々や草花に吸い寄せられて、生命力を染み込ませていく、優しい雨だ。
雨が、朝から止むことなく、降っていた。
今日の雨でわかったけど、令和2年の夏は完全に息絶えました。
もしこれから暑くなることがあっても、それは地球のスイッチのエラーが起きてるせいで、本当の夏が帰ってきたわけではないのだ。
その暑さに夏の匂いはもうしないことだろうし、むしろ我々は、もしもなんらかの間違いでそういった暑さに遭遇することがあったらきっと、その中に夏の幻を思い出すだろう。
季節が終わるとはそういうことなのだ。残念だけれど。
恋人の家族と会えることは嬉しいことだ。
これからもっと仲良くなれるとおもうし、みんなでいろいろなところへ行けたらいいともおもう。
たとえば牧場とか、ぶどう狩りとか、太平洋とかなんかちょっと遠いところ。私が車を運転して、義父にビールを飲ませてあげる。恋人と義母がときどき口論をし、義姉が景色を眺めたり眠ったりしている。
それはどんな季節だろう。
すこし風が冷たいけど、お日様が暖かい、これからの季節だろう。