大学時代のサークルの同期と福島へ旅行してきた。
なぜ今、福島なのか?
それは、同期が仕事で福島に住んでいるからである。それだけであーる。
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福島県に何があるというのだろう?
今回行ったところは、福島市、郡山、猪苗代湖、などである。会津のほうには行けなかった。また、海沿いも行けなかった。
となると、福島には何もない。
桃、水、空気、などがある。
桃狩りをしてきた。今年の夏は涼しくて桃の多くは熟れておらず、リンゴのように硬いものもあったが、それなりに熟れたやつはちゅるんと甘くてごくごく飲むように食べれた。
なにか特別あったものといえばそれくらいだろうか。
猪苗代湖にもなにもなかったし、猪苗代湖でソフトクリームを食べようとしたら売っていなくて、近くの険しい山道を登った先にある牧場に行くことになったのだが、まさかのソフトクリーム器が故障していて食べられず、ヤギを観察して終わった。
豚もいた。
豚たちはパイプから落ちてくる餌を尻尾を振って待っている。餌は100円で買える、乾燥させたトウモロコシなどである。
バラバラと投下された餌にぶぐぶぐ言ってくちゃくちゃ噛んで食べている様子は可愛かったけれども、悲しくもあった。
単に悲しかったり虚しいのではなく、ちょっと言葉にならない悲しさだった。
彼らは、私たちから餌をもらえると思って、拾い柵の中で一日中餌パイプの前にいて、泥だらけになってぶぐぶぐ言っているのだ。歩き回ればいいものを、ずっとそこでお客の投下する餌を待っているのだ。もちろん、飼育用の餌もたくさんもらっているはずだ。お腹はいっぱいのはずだ。
豚、この二頭の豚にとって楽しみとは食事だけなのだ。この、食事をすることだけが喜びであり、お腹いっぱいであることだけが幸せなのだ。それはシンプルで偽りのない幸福に思えたし、虚しく落ちてしまうほどの悲しみでもあった。
これは人間とて同じなのかもしれない。低次の欲求だけに突き動かされている人は幸福そうに見えるし、愚かに見える。
私はそういうシンプルな人間になりたいし、悲しいのでなりたくない。と、考えてる私は豚のようだ。
勝手なものだ。
そんなことを考えながら、豚を眺めていた。
福島県には、これ以外に特筆すべきことなど何一つなくて、温泉に入り、夜中まで飲み、朝にも温泉に入り、硬い桃を狩って、5時間も運転して帰ってきた。
それだけだったし、なんの計画性もなかったのでグダグダしていたのだが、旅とは一緒に行く人が重要なのであり、さすが、サークルにおけるどんな苦境や不幸も笑うことで乗り越えてきた私たちらしいなぁと思えた。
笑って誤魔化してしまうことはあるいは悪いことかもしれないけど、美徳でもある。
世の中は豚にしたってどうやらそういうどっちつかずのものが多くて困る。心地よくて気味が悪い。
旅自体はとても楽しかったのであった。