我が家の包丁は、クソである。
それは引っ越しの際に急ぎ買ったありあわせの包丁で、最低ランクのひとつ上のランク、要するに「二番目に最低」な包丁、最低ランクには手を伸ばさない変にプライドの高い貧乏性が買ってしまいがちな安価で工場生産的でコンビニエンスストア的な包丁である。
どこからどう見ても包丁の姿をしているが、使っていくうちに「包丁ではないかもしれない」と疑念を抱かせる切れ味、トマトを切ろうとすればいつも形が崩れ、魚には切れ目を入れられず、りんごの断面は歪んでいる。「切る」というよりも「分かつ」とか「断つ」とか「殴りちぎる」のほうがこの包丁に与える動詞としては適している。刃先に狂いしかない。
切れない包丁は喉を潰したウグイスみたいに自信を喪失して見える。
ぐちゃぐちゃになったトマトの傍らで遣る瀬無く黄昏れられると、こちらの気分まで夕暮れに沈みそうになる。サバの皮膚に敗北した包丁を手にすると、インポテンツになったらこんな気持ちになるんだろうな、って自分のことのように自尊心が傷つけられる。
彼は何も言わず、結果だけを真実と目にして、ひたすら自分を責めている。
どうにかしてやらねばならない。
研ぐことにした。
砥石(といし)を買い、インターネッツで研ぎ方を調べ、いくつか動画を参考にして研いでみた。
しゃりしゃりと砥石の上を滑る刃先から自信回復の音がする。
素人にはこれで研げているのかよくわからないしひたすらに退屈だが、包丁的には気分のよさそうな声で歌っているのでまぁいいか、としゃりしゃりしているうちに、なんだか自律神経が整っていくような「丁寧な生活をしている」充実感が湧いてきて、そのうち穏やかな気分になってきた。
包丁を研ぐ。なんて文化的な生活。
切れ味に期待感が高まる。
いくつかの動画では研いだ後の試し切りでキュウリやトマトが面白いようにすぱすぱ切れていたが、この包丁もそうなるだろうか。
いつしか私と包丁は同じ夢を見ていた。
関係ないけど、包丁関連の動画の中ではこの「包丁売り」があらゆる意味でいちばん面白いので観てください。
目の細かい砥石で仕上げたら、新聞紙を丸めたものを切って「バリ」を削る。がしがしがし、と荒い部分が削れていく。こうして研ぎは終わりである。
よく拭いて、ドキドキしながら試しにキュウリに刃をあてると、ははは、笑っちゃうくらい全然切れなかった。
キュウリですら断面が歪んだ。むしろ切れ味は悪くなったのではないか。
さっきまでの自信回復の音はなんだったのか。
騙したのか。おれを。
包丁を仕舞って私はベッドに横になり、豚を解体する動画を見漁った。豚の解体は良い。ナイフが気持ちよく豚を真っ二つにするから。
私の腕にも問題はあるが、あるいは砥石にも問題があるかもしれない。
100均で二番目に安いものを買ったのである。
なぜ二番目かというと、これはこの包丁を選んだ理由と同じで、貧乏性のくせにプライドが高くて最安最低のものを心よしとはしなかったからで、せめて最低は避けよう、という卑しい魂胆が「二番目に最低」を選ばせたのだ。
結局安かろう悪かろうで、ケチると結果的には余計に費用がかさむことが珍しくない。
偉くなって会社の経費で領収書を切れたら高価な包丁買おうかな。
そんなことしたら馘(くび)を斬られるかな。
ははは。