ぜんぜん見えてこない。曇った夜空の星みたいに。
未来は希望ではなく絶望で、過去は礼賛ではなく因縁で、人間はあまりにも醜く、自分すら愛せないのに他人に与えられる愛なんてこれっぽっちもなくて、私の優しさはだから愛ではなくて、醜い人間への慈悲なのだ。それは言い換えれば愛だけど、そんな愛は窮屈な教室の窓のように藍色で、哀情で、孤独なのだ。
と、薄暗い気持ちになってしまって、スマホを駅で叩き壊したい。
スマホを叩き壊したら、私は遠くへ行けるだろうか。
私はって、なんだか面倒な一人称だな。僕は。いや、おれは。
おれはどこかへ行きたい。
と、薄暗い気持ちになってしまうのは、ぜんぜん仕事に慣れなくて、いや、できることは確実に増えてはいるのだけど、仕事ができるようになったその先が見えてこないのは、やっぱりまだ未熟であることが最大要因であり、それは伸びしろでもあり、きわめて退屈でもあると考えて考えて考えて、黄色い点字ブロックの外側に、煩わしいもの「すべて」を放り投げたくなった帰り道。
つまらない。
仕事に行きたくない。
と、なってしまう原因はおそらくも何も確実に、おれが未熟だからだ。
まだはじめて1カ月だし、当たり前である。
まわりの先輩方にできるということは、おれにもできるということだ。
人には向き不向きがあるけれど、とりあえずやってみないとわからないし、続けることで見えてくる景色は確実にある。そうやって自分を元気づけて、なんとかだましだましやっている。
このことは真理だし、間違いないと思う。
でもそれはそれとして暗い気分になってしまうときはなってしまうし、大抵その原因は醜い人間のせいなのだ。私も僕もおれも。
今朝、「行きたくねぇな」と呟いてしまった。
言葉にすると、心に静かな波紋がたって、水際に揺らぎを生んでしまうから、思っているだけで言葉にしない方が良いことというのはたくさんある。
「行きたくねぇ」は、ゴムの伸びた靴下を履く速度をいつもよりずっと遅くした。
絶望感がある。
時代の絶望感だ。
その時代の寵児であるおれたちは、いつも冷めている。それは時代のせいだ。熱くなれる時代じゃないのだ。夏だけが暑くなり続ける。
こうした暗い気持ちで夜道を歩いていて、泣きそうにはならないけど、ここで泣けたらどれだけいいだろうと、夜空を見た。
名前の知らない星が、ぽろぽろ光っていた。
満天の星空じゃない。曇り空の割れ目から見えた、泣き言じみた星たちだ。
おれはなによりもずっと美しいものを見た。
美しいと思えるその心が美しいのだ。
おれは、この心を失ったら、こんな星空になにも感じなくなってしまったら、死のうと思う。美しさを感じられないなら、生きていたってしょうがない。
薄暗い気持ちだったけど、悪いことじゃなくて、こうしてそれを糧に文章を書くよろこびを感じていられるし、あの星々はいつもよりずっと綺麗に見えたのだ。
おれは、この、心こそを、まずはなによりも愛していたい。
それだけで未来の絶望はすこしおもしろくなり、過去は愛おしい笑いになり、人間はなによりも美しくなれる。