今まで何度も書いているけど、私は少食だ。
多くは食べられないし、多く食べられたとしてもせいぜい牛丼の大盛がやっとだ。
あまり食べないから体が細いし、加えて成長期は偏食・偏屈だったことが災いしている。
食べなきゃいけない時期に昼ごはんに豆腐ばかり食べていたこともあった。
過去の私は今よりもよっぽど愚かで、成長期に豆腐しか食べないのが格好良いと考えていたのだ。
高校生の私に会えるなら、おもいきりぶん殴ってやりたいことが山ほどある。平面になるまで殴りたい。そういう愛。
現在の私は偏食ではなくなったし、そこまで偏屈でもなくなったので(と思いたい)、出されたものはきちんと食べるようになった。
それでも一人前がとてつもなく多いなと感じてしまうのは、少食の為というよりも、食欲の波によるものが大きいだろう。
完全に、仕事のストレスである。
以前にも書いたように、仕事のストレスが私を痛めつけている。
心の外層ではなくて、奥深いところでひしひしと痛めつけていて、先の尖ったスコップで少しずつ心の部屋を削り取られているような痛みがある。
ただ単に「労働が嫌だ。働きたくない。赤ちゃんになりたい。もしくは動物の赤ちゃんと戯れていたい」というわがままな欲望とそれに反する現実の差異から生じる摩擦のストレスなのだから、こればかりは仕事というか、社会というものに慣れていかなければどうしようもないのだろう。
月曜日から徐々に食欲は落ちていき、木曜の昼をピークに食欲は消え失せる。
なぜ木曜の昼かというと、金曜日は「希望」の塊であって、何が起ころうとも堪えさえすれば「労働」から抜け出せるから、食欲は回復するのだ。
木曜の昼は、それこそ豆腐しか食べたくないし、なんなら豆腐の浸っている水だけでいいくらいだ。
金曜の昼くらいから食欲は回復し、土曜には常人レベルに戻る。土曜日の夜が食欲のピークで、そこからまた木曜の昼にかけて徐々に食欲は減退していく。
食欲がないと、なんだか無気力になっていつも眠いし、性欲だって痩せ細っていく。
眠り心地の悪い夜が続いて、よくわからないけど漠然とした憂鬱な夢にうなされる。
食べることは生命力そのものである。
だからたくさん食べる老人は長生きするのだ。
私は早死にするだろう。
今は夏バテも若干しているし、運動もできていないし(もともとしていなかったのにさらに遠ざかっている)、自律神経がやられているのか慢性的に肩が痛いし、家庭のストレスも甚だしい。
どうにかしなければならない。
こんな暗い気持ちのときに、ananのセックス特集の表紙を見た。
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こんなえろいことある?
私は男だけど、田中圭の鎖骨に吸い付きたくなった。
こんな肉体になれたらどれだけ気持ちの良いことだろう。食欲も性欲も半端ないに違いない。
とりあえず今夜は腹筋をしようと思う。
いろいろなもののために。