蟻は今日も迷路を作って

真面目な話からそうでない話まで。本当の話から嘘の話まで。蟻迷路(ありめいろ)という人が書いてます。

大音量と思考巡転、孤独

 日は昔一緒にバンドをやっていたドラムの新しいバンドのデビューライヴに行ってきた。

 以前は一緒に演奏していたということもあって彼のドラムの良さみたいなものを心底に理解していたわけではなかったのだが、客観的に聴いてみると、心地よい音を出す奴なんだなぁとつくづく思う。

 ドラムという楽器は高橋幸宏さんが言っているように、その人の持つ「音色」が直接出るプリミティブな楽器なので、リズム感は鍛えることができても、根本的な音色を誰かに似せることや変えることはまず難しい。

 私の友だちの出す音は、タイトで芯があって、発散と発露を感じさせる音だ。昔よりずっと上手くなっていて、音色も磨きがかかっていたし、努力がうかがえた。

 ドコドコ叩かれると「雷が落ちるぞ」と昔はよく言ってたものだ。それゆえに、バンドの中では浮きがちになってしまい、聴かせるドラムではあっても、オケとして調和しているかというと首をかしげる部分があって、ボーカルや他の楽器を呑んでしまう。

 彼を飼いならすバンドにならなくちゃいけない。

 だけど、昨日聴いていて、いいぞ、もっとやれ、と思った。

 どういうことかって、彼の音はどうにも気持ちがいいのだ。「怒り」を感じさせるというか、好戦的な気分にさせる。ボーカルとかオケとかどうだっていいので、もっと聴かせろ、と思わせてくれる。バンドは彼のために成長しなければならない。

 そう思わせるドラムを叩ける人は、そういない。

 そして昨日のバンドは他の演奏も良かったと思う。このバンドなら彼のドラムを使いこなせそうだし、充分に飼いならすこともできそうだと思った。

 よく練習していることがわかったしその質も良さそうだ。その辺のアマチュアより全然上手だった。私は昔の自分を恥じたほどだ。そして、伸びしろがまだまだあると思った。

 

 どの口で言っとるんだ。偉そうに。ロックバンドたるもの、こんなわけわかんない批評は気にせず、好きなように狂い咲いてほしい。いいぞ、もっとやれ!

 

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 ところで私はライヴ中、大音量の耳が裂けるような音の渦の中で、体を揺らしながら、さまざまなことを考えてしまう癖がある。

 ベースがブンブン鳴っていると、今書いてる小説の新しいアイデアとか次に書きたい小説の主題とかが思い浮かぶ。

 ドラムに腹を叩かれると腸が蠕動(ぜんどう)してうんこをしたくなると同時に、昨今の世の中の出来事について思うところの頭の整理が進む。

 後頭部を歪んだギターにぎゃーんと殴られると、昔の自分の過ちや後悔を思い出して、ひどく惨めな気分になってくる。

 そしてボーカルが気持ちよく歌っていると、どうして自分はあそこに立っていないんだろうと勘違いも甚だしい劣等感に苛まれ、もう体を揺らさずにはいられなくなるのだ。

 自分でもこの習性がなんなのかよくわからないのだけど、どのライヴに行ってもそうなってしまう。相対性理論スピッツのライヴに行っても、フェスに行ってもそうなのだから、どのライヴでもそうなってしまうのだろう。

 

 孤独。

 圧倒的な孤独感が体を揺らしながら心を揺さぶってくる。泣きたくなってくる。どういう情緒なんだ。

 

 恋人をどれだけ愛しても、友だちとどれだけバカをやっても、死ぬときは自分一人で、心の底の目も当てられないような「自分」を抱きしめてあげられるのは「自分」だけしかいないのだ、という、どうしようもない孤独感。

 セックスをすると肉体が融け合うようで、言葉にならない心のコミュニケーションが図れる。そして自分は孤独ではないのだと思う。だけど、孤独なのだ。言葉もセックスもダンスも、孤独の中和剤に他ならない。私たちは突き詰めてもずっと孤独なんだ。宇宙にぽつんと浮かんでいる名前もない星のように。

 

 そういったことを考えてしまうので、音楽を聴いているどころではない。

 だけどこれは良い兆候で、創作意欲が湧くし、自分が孤独であるということを思い出させてくれることは決して悪いことじゃない。

 なぜなら、孤独を知らないと自分と向き合ってなにかを作り出すことはできないので。

 

 書きながら、面倒くさい奴だな、と思った。

 頭空っぽにして楽しめよ。それがライヴだろ。なんなんだ。

 

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 友だちのバンド名は「THE PLANET WE CAN SEE」です。プラキャン。

 

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 音源もあるので、なにとぞよろしくお願いします。大切な友だちのバンドなんです。

 これから伸び出てくるバンドだと昨日確信した。