4年前の2月に死んだ父親のために妹と母が墓のある尾道へ行く、と聞かされたのは昨晩の夜のことだ。
「もうすぐ命日でしょう。それでね、もうずっと行けてないから、あの子(妹)のためにも行くことにしたの」と電話で早口に母は言った。
妹は父が好きで、よく懐いていた。父が死んだのは妹が二十歳のとかだったかしら。私はといえば、命日すら忘れていたくらいだ。2月だったか3月だったかも忘れていた。何歳で死んだのかも知らない。
「あなたはパパのこと嫌いだったから声かけなかったし、平日になっちゃうから、ね」
「うん、気をつけて行ってきてね。お寺さんによろしく」
私が行けないことについてはなんの未練もない。母と妹が無事で行って帰ってきてくれればそれでいいと思っている。
ひとつ気がかりなのが、実家の猫たちだ。
「猫たちなら大丈夫。自動でエサを出してくれるマシーンを最近使っててね、練習してるのよ。毎日朝と夜の決まった時間にエサがでてくるの」と母はマシーンを過信して言うが、怪しい。
2人の墓参り中にマシーンが壊れでもしたら大変なことだし、今は寒いから、猫たちが凍えるのも忍びない。
「じゃあ、2人が墓参り行ってる間、おれ実家行くよ。実家から会社行けないわけじゃないし」
「それなら安心だけど、大丈夫?」
「猫たちのためなら」
「それもそうね。じゃあお願いしちゃおうかしら」
猫たちのためなら、会社から2時間かかろうと問題ではない。
むしろ喜んで行きたいくらいだ。
この正月には実家に帰れなかったし、時折り挨拶をしておかないと、私の存在なんて猫たちにとっては霧消しても仕方がないほどのものなのだ。筋を通しておく必要がある。
猫は薄情に見えて実は心の中には優しき獣の温かさを備えていて、人間のことをかなり理解している。だから人と同じように、同等の家族として扱わないと、あっという間に卑下される。犬にしたって同じことだが、犬よりも洞察力は透徹している。
卑下されると、たぶんだけどひどい悪口も言われる。具体的には政治関連のトピックにつけられる憎悪に満ちたコメントみたいなものだ。売国奴とか、支持率を低下させるのに余念がない駄馬とか、国民を裏切った罪、みたいなことだ。
それは避けたい。
猫には好かれていたい。
ふつうに会いたい。
一緒に寝たい。
猫は素敵な生き物だ。犬と同じくらい。
それはつまり、人よりも優れているということである。
そんなわけで、2月にちょっとした楽しみができた。