東京です。雪です。
朝、カーテンを開けると、隣家の屋根にうっすら雪化粧、道路の隅の方とか白く濁っていて、夜の間に雪が降ったことを知った。
その雪も、しばらくして降りはじめたつまらない雨にすべて溶けてしまった。
真冬に降る冷たい雨ほど意味のない天気もない。
私は神奈川の海岸線育ちだから、雪とは「降ればラッキー」程度にしか馴染みがない。
雪はすぐに溶けてなくなる儚いやつとしか思ってない。
小さい頃は雪が降ると嬉しくて、実家の小さい庭を犬と駆けまわったり、砂浜へ出て、燃えるような白い雪原になった海岸線をぼーっと眺めたものだった。
雪が積もったら海へ行くことをお勧めする。
雪原の向こうに海が白くしぶきを立てて、かすんだ水平線は空と海が鈍色に溶け合ってどこまでが空でどこからが海なのかわからなくなる。時間が凍りついて止まっているようなまっさらな風景のなかで海だけが呼吸をしている。白のなかに立っている僕は、ほんとうはどこにいるんだろう、って哲学的な気持ちに浸ることができる。そういう内奥をさぐる気分になれる景色は、つまりよい風景で、要するに美しいのだ。
神奈川の砂浜は、大昔に富士山が噴火した影響で砂に火山灰が混じって黒い。
沖縄とか瀬戸内海みたいに白い砂浜ではないから、海は濁りやすく、砂は濡れると埃くさく暗くなり、目に綺麗なビーチとは言えない。
だからこそ、雪が降った日はより美しく映えるのだ。
大学生になった頃から、雪のことはあまり好きではなくなった。
それまでは、雪に興奮するのはガキで恥ずかしいことと思って「雪は面倒だよな寒いし」と言っていたけど実際に雪が降ると興奮を抑えられなくてくるくる回ったり、わーって両手を広げてみたりしていたのだが、成人を越えると、本当に雪なんて、と思うようになった。
寒いし滑るし電車止まるし。
雪が面白かったのは、雪によって阻まれる生活がそこに無いからだったのだ。
学校が午前休みになり、行けばみんなで雪合戦をやったり、まぁ暢気なものだった。
大人になったら雪が降っても会社に行かねばならないのだ。必要に迫られてラップとキッチンペーパーを買いに行かねばならないのだ。
大学生の頃、大雪で電車が止まっても大学が試験日程を変更してくれなくて、びしょびしょになりながら期末試験を受けた記憶がある。
午後から大雪で電車も止まることがあらかじめ予告され、他の大学は臨時休校にしていたというのにもかかわらず、わが校は「15時までの授業と試験はやります」と案内を出し、結果として電車が止まったので多くの学生が家に帰れなくなったことがあった。本当に無能な大学なのだ。
たとえ雪が降っても特別なことは一切なく、できるだけ通常通りの生活を送ることを心掛けなければならないという使命を、成人を迎えた日本人は課せられる。
その使命を負わなくても許されるのは、子どもと犬だけだ。(猫はこたつで丸くなる使命がある)
そのようにして、雪は魅力を失うのだろう。
雨が降って、道路の雪も屋根の雪もいなくなってしまった。
雪は ──あの頃の雪は── 私の中からも消えてなくなってしまった。