蟻は今日も迷路を作って

くだくだ考えては出口のない迷路に陥っている

貨物列車に揺さぶられて

  物列車が好きだ。

 特に、貨物列車の先頭車両で、貨物を牽引しているあの、機関車が好きだ。

 

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 「力」に特化している。

 詳しいことはよくわからないのだけど、あの先頭の一両が十両数重量を引っ張らなければならないのだから、力持ちであるのは当然だ。

 

 あの「力」を前にすると、私の中の男の子がきらきらと目を輝かせる。

 ディスカバリーチャンネルエド・スタフォード氏が言っていたことを思い出す。「材木を運ぶと男としての自信が湧いてくるのです」みたいな言葉。

 私は貨物列車を見るとその「自信」の片鱗に触れる。男としての「力」の誇示を見ているようでなんだか気持ちがいいのだ。

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 先頭車両が何も牽引せず走っていたり、1・2両の貨物や、なにも載せていない車両を引っ張っていると、なんだか物哀しい気持ちになる。「力」を持て余しているようなのだ。

 逆に、大量の貨物をのろのろ運んでいるさまは見ていて喜びがあり、「よしよし、よく働いているな」と、ピラミッドの巨大な石材を運ぶ奴隷を監督するエジプトの労働官の気分になって「今夜はビールを与えてやろう」なんて言いたくなる。

 

 貨物列車という名詞に性別を与えるなら、間違いなく男性名詞だと思う。

 あの、武骨さよ。

 あの、轟よ。

 あの、「力」よ。

 

 牽引する姿は、重ければ重いほど汗水たらして働く労働者そのもので、驀進(ばくしん)する姿は労働のための労働という本来的な喜びに見える。

 あるいはそう見えるのは、私がエジプトの労働官的であるからかもしれない。

 働く方はたまったもんじゃないのだ。

 

   ↓

 

 昔の恋人にそんな話をしたことを、貨物列車の通過の風に乗って思い出す。

 昔の恋人も貨物列車がいちばん好き、と言っていたなぁ。

 

「どうして?」

恋人(旧)「男らしさとかはよくわかんないけど、わたしは貨物列車で妄想できるから好き」

「妄想?」

恋人(旧)「うん。ルパン(3世)が銭形警部に追われてね、車両倉庫を見下ろせる歩道橋まで追い込まれるの。下には貨物列車が停まってる。ルパンは歩道橋から飛び降りて、銭形は驚く。ルパン!死んだか!」

「ふむふむ」

恋人(旧)「すると停車していた貨物列車が走り出して、ルパンは貨物の載っていない車両に降り立っていて、まんまと逃亡するの」

「なるほどね」

恋人(旧)「だから、貨物列車は貨物が載ってない方がいい。ていうか、載ってたらルパンは逃げられないから」

「でもそれじゃあ機関車は持て余しちゃうじゃん。”男”を」

恋人(旧)「別にいいじゃん。そこのところだけど、さっきから何を言っているのかぜんぜんピンとこなかった。男ってなによ。貨物は載っていない方が絶対に良い」

「絶対なんてものはこの世にないよ」

恋人(旧)「あるよ。たとえば、貨物列車に貨物が積まれてない方が絶対に良いこととか」

 

 貨物列車には貨物が載っていない方が絶対に良いらしい。

 

 昔別れた恋人のことだ。もう昔のことで、今はもうない。

 思い出すことはほとんどないけど、貨物列車が通過するとき、どうしても頭の片隅にあの子が一緒に通過して、心をすこしだけ、甘くざわつかせる。

 

 だから、貨物列車に貨物がたくさん載っていると、私は少し落ちつく。