ハンモックが家にあればどれだけいいだろう。
絶対に良いに決まっている。
少なくとも悪いことはひとつもないはずだ。
ハンモックっていいよなぁといつも思う。
とある施設でハンモックを体験する機会に恵まれた。
実際にハンモックに揺られてみると、やっぱり良いということがわかった。想像通り、想像以上だ、
ハンモックに揺られていると、たとえばカンガルーの赤ちゃんは、お母さんのお腹の中でこんな気持ちなのかな、と思う。
はは。それ以上、特にそれといった考えも浮かばず、天井のシミを見つめる。
ハンモックの中はなにか考えることにまったく適していない。次第に思考をやめ、考えることを放棄し、ハンモックとは かすかな揺れに身を任せて空中にとどまることに何もしない喜びを感じるための装置なのだと、うつらうつらと言葉が湧く。
ソフトクリームが食べたい。唐突にそう思った。
冷たくて白くてかすかに濡れているソフトクリームを食べたい。なぜだかはわからないけれど、ハンモックに呑み込まれつつある私はソフトクリームを食べたら素敵なのにと思った。そうやって死ねたら最高なのに。
ソフトクリームは、実は雲にいちばん近い食べ物なんじゃないかと思う。
綿あめではなく、実はソフトクリームがいちばん雲に近い。綿あめはどちらかといえば霞によく似ている。
夏の雲、厚くてこんもりとした輪郭の、空の青をまったく突き放したあの白は、まさしくソフトクリームそのものだ。いかにも やわらかそうで、口の中に広がる甘さをたくわえていそうだ。あんなに甘いから、空に浮かぶことができるのだろう。納得した。
ハンモックも雲によく似ている。雲に寝たらこんな感じなんだろうなって寝心地がする。
ハンモックに包まれた人間は無邪気で、年齢を問わず幼く見える。誰もが赤ちゃん的な気持ちを抱く。母親に抱かれる気持ちになる。
たぶん、雲に寝ても人はそうなると思う。ハイジのように無邪気になるのだろう。教えておじいさん→教えておじいさん→教えてアルプスの森たちよ、って途中からおじいさん教えてくれないと察して諦めてるよね。「森」で誤魔化してるよね。
まぁいい。
ともかく、雲とハンモックとソフトクリームはよく似ている。類語だ。
ハンモックのせいでゆるくなった思考でこのブログを書いたけど、ハンモックがどれだけ思考をたるませるかよくわかると思う。
ハンモックが家にあればどれだけいいだろう。
仕事で嫌なことがあっても(嫌なことしかない)、家に帰ればハンモックがあると思うだけで、自分という見失いがちなものを心にとどめて強く生きられる気がする。休みの日は一日中ハンモックの上でビールを飲んでいたい。
そうやって生きたい。