蟻は今日も迷路を作って

くだくだ考えては出口のない迷路に陥っている

あの頃勉強しておけばよかった、に対する回答

どもの頃、大人たちが「学生の頃もっと勉強しておけばよかった」と口にするのを傍目に見ていてその意味がよくわからなかった。

勉強なんて面倒くさくてつまらなくてこの世における興醒めの一種に間違いないのに、おれが宿題でヒーヒー言ってんのに、大人はなにをほざいてるんだ、と。

大人になった今、その意味がわかる。

もっと勉強しておくべきだった。

語学にしろ論理的思考にしろ教養にしろ身につけておいて損をする類のものではないし、たとえこの身ひとつになったとしても知識だけは誰にも奪われない宝で、戦うときの武器はこの文政統治下では銃ではなく言葉であり論理であり、知性なのだ。

私は数学が大嫌いでどうしてもうまくできずに投げ出し、クラスではいつもビリッケツが当たり前になって向き合おうともしなかったのだけど、いま思えばどうして真摯に机に向かわなかったのか後悔している。一時の「できない」に怯えて、ビビってた。成功体験がなかったから勉強が嫌いだった。

でもあえて言わせてもらうけど、数学を楽しいと思わせる授業をしてくれなかった先生にも問題がある。

えてして勉強に励まなかった理由の一つに「授業が面白くなかったから」があると私は思う。

おもしろい先生の授業はその科目ごと好きになるもんだ。

「できない」が増長していくような勉強との向き合い方を直せばもっと勉強は楽しくなるのではないか。

 

ちょっと話が逸れてしまったので戻そう(閑話休題と言うらしい)。

大人たちが勉強をしておけばよかったとガタガタぬかすのは、勉強をすることで知性が身につき人生がハッピーなものになったり、困難に対して対処する力が備わるようになるからであり、学生時代以上の困難を目の当たりにした大人たちが過去を省みてそう思うようになるというわけだ。

また、勉強した内容を忘れてしまっても思考力は失われるわけではないし、かすかに残った教養が後になって人生を豊かにするものだ。

だから勉強はしておいたほうがいい。

 

勉強しておけばよかった。大学でも手を抜かずにやっておけばよかった、とつくづく後悔している。

そういう人は多いと思う。

でも、自己の戒めとして書くけど、そう思うなら今から勉強すればいいんじゃないか。

学業に遅いなんてことはない。

社会人になって勉強をする時間なんてほとんどなくなってしまうけど、勉強をしたいと思うなら今からだって遅くない。

そう思うけど、なかなか、ね。

「あの頃勉強しておけばよかった」というのは「勉強に充てられる時間がたくさんあるうちにやっておけばよかった」という意味でもあるのだ。