私の部屋には本棚が5つあって、すべてが私の本だけで埋まっているわけじゃないし、参考書や辞書やCDも収めてあるので純粋な本棚ではないのだけど、それでも本の数がすごいことになっていて、その姿はまさに私の頭の中のカオスを映し出したようになっていて、すこぶる気味が悪い。
入りきらなくなった本は、本の上に横積みに重ねてあり、それでも入りきらないので、ベッドの横に積む、机の上にタワーにする、そこらに散逸するなど、管理は粗暴を極めていた。
本棚を買うしかない。
そこで車をかっ飛ばしてニトリへ向かった。
家具屋ってむしょうにワクワクする。
そこにある新生活の期待感、モデルルームみたいな丁寧な生活をするんだ、と意気込んでついつい無駄なものを買ってしまい、丁寧な生活どころかゴタついた生活になってしまう未来が見える、見えるぞ。
ニトリで買える本棚なんてひとつしかない。
それはごく限られていて、私が求めているものに他ならなかった。万人受けする可もなく不可もない洗練された本棚。これを買おう。
本当に本棚はひとつかふたつしか売ってなくて、本棚がどれだけ需要がないのかよくわかった。時代だ。本なんて読む人はいないのだ。本が入りきらなくなって6架目の本棚を買いたいなんて若者ははたしてどれだけいるのだろう。
売ってる家具によってその時代が見えてくる家具経済学を専攻しようかな。
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ニトリの家具は基本的に自分で組み立てねばならない。頼めばたしか業者が組み立ててくれた気もするが、本が散逸して部屋で狼藉を極めている現在、そんな悠長なことを言っている場合ではなく、私は自分でさっさと組み立てることにした。
マニュアルを見るとこの本棚、どうやら2人で作業をするものらしく、所要時間は1時間らしい。単純計算だが、2人で1時間ということは、一人だと2時間かかることになる。
よしおれは40分で終わらせよう、と細腕をまくったのであったが、なるほどニトリの先見の明は優れていて、完成までに2時間を要した。
まぁ半分くらいは組み立てられた状態なんだろうな、と甘く見ていた私が悪かったのだが、段ボールを開けると出てきたのはひたすら板、板、板で、これから締めねばならないネジの本数に肝をつぶした。ちょっとすぐには数えられない本数だ。日本の山の数くらいのネジ山が連なっていた。
とりあえず一本ネジを締めてみると、これがまぁ固くて、かなり本気を出さないと最後まで閉まらない。私のあわい握力はネジ2本で限界を迎えた。
しかも、マニュアルを注意深く見ていなかった私は、このとき間違えた部分にネジを締めていて、苦労してこしらえたネジ2本はすぐさま抜かねばならなかった。
絶望。
吐き気がした。
本棚は永遠に完成しないのではないか?しかももう開封しちゃったからこんな板切れどこに置けばいいかもわからないし。
死のうかな。
でもこんなことで死ぬわけにもいかないので、工具箱になにか良いアイテムはないかと探したところ、あった。神はいた。
ネジ締めを楽にするアイテムがあったのだ。
それの名前はわからないのだが、電動ドライバーほど優れたものじゃなくて、結局は手で締めねばならないのだけど、それでも格段に効率を上げて、負担を下げてくれる、たとえばワインの簡単コルク抜きみたいな優れ方をしたスグレモノであった。
それで私はがんがんネジを締めあげていった。その工具は壊れていたので使いにくさはあったが、充分な戦力であった。たぶん、これがなかったら本棚は完成していなかっただろう。
名前がわからないので、神器、と名付けた。
項番がすすむにつれて、なぜ二人でやる作業なのかわかってくる。
どうしても誰かに支えてもらわないと難しい部分があるのだ。
グラグラしていて、重くて、片手で微妙なバランスを取りながらの作業は危険だし大変だった。おかげで、部品の一部の杭が根元から折れてしまった。
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そうこうして本棚は完成した。
良い。
前の本棚の整理も兼ねて、がんがん詰め込んでいく。
笑みが漏れる。
自分好みの本しかないので、ドストライクだ。
なお、片側はジョジョで埋まった。すごい「圧」だ。ドドドドドって聞こえてくる。
本の入っていない本棚は虚無だ。
そこに本を詰め込むと命を得て輝いて見える。すべての家具がそうであるように、使わなければ物に命は宿らない。
自分の成果物が目に見えてあるというのは気持ちのいいものだ。自分を肯定できる。よくやったと褒めてやりたい。
しかも家具という大物を作ると、なんだか男としての自信も湧いてくる。力を使ったのだ、力の成果なのだ、という根拠が私を昂める。
ああ、この本棚に、たくさん本を詰め込むんだ。本棚に空きがある方が、夢を詰め込める。