蟻は今日も迷路を作って

くだくだ考えては出口のない迷路に陥っている

クリスマスツリーの憂鬱

  たるところにクリスマスツリーが飾られはじめて、ああ、もうそんな時期かと背中を丸める。我が家でクリスマスツリーを飾らなくなったのはいつからだろう。

 

    昔、うちにはクリスマスツリーが植えてあった。12月になると玄関の鉢に植えてあるそれに飾り付けをしていた。母が。

    小学生時分から私も妹も冷めた三日月のような目でクリスマスを見ていたので、クリスマスツリー飾るよ〜と母が嬉しそうに誘ってくるのが心底面倒くさかった。

    勝手に飾ればいいし、ぴかぴかさせればいい。私には興味のないことだしプレゼントさえ貰えればいいのだから、母の満足するようにしてもらってかまわない。そう思ってた。

    渋々飾り付けを終えるとまた新たな憂鬱がやってくる。いつかこれを片付けなければならない。面倒くさい。嫌な子どもだ。

    そういえば飾り付けを片付けた記憶がないので、母が隠密に片していたのだろう。今思った。

 

    どうしてこんなに冷めていたのだろう?

    もっと喜ばしく飾り付けをすべきだったのだ。はやく飾り付けしようよ!と11月には言い出すべきだった。目を輝かせてわくわくすべきだった。今になってそう思う。

    母にしたら、子どもにとってクリスマスとは人生の一大イベントで楽しみにしていることは間違いないのだから思う存分楽しませてやろう、という魂胆だったのだろう。私はその想いを無下にしていたのだ。

    その冷めた空気を母も察して、いつからか飾り付けの儀式は行われなくなり、そのうち木も立ち枯れてしまったので処分した。

 

    ↓

 

    私に子どもがいたら、きっとクリスマスを楽しいものにしようと躍起になるだろう。ツリーを買い、飾り付けをみんなでして、クリスマスまでのカウントダウンカレンダーにお菓子を用意して、プレゼントを買いに奔走するだろう。

    そういったささやかだけど大きなイベントは、家庭の幸福そのものだからだ。子どもの笑顔は幸福の証だからだ。

    私はイベントを大事にするだろう。

 

    母もきっとそんな想いだったに違いない。

    ところが息子と娘は子どもながらに恐ろしいくらいクリスマスに興味関心がなく、夫は他の女と遊んでいて、ケーキを焼いても子どもたちは甘いものが苦手なので食べない。

    私は、なんて酷いことをしていたのだろう。

    

    毎年この時期になるとそのことを想って遣る瀬無い気持ちになる。

    24歳になった今、私がやおら立ちて「クリスマスツリーを飾り付けるぞ!」と息巻いても家族は相手にしてくれない。ストレスで頭がおかしくなったのね、と同情されるだけだ。

 

    タイムスリップして、大人になった私がツリーの飾り付けを手伝ってやりたい。ささやかな幸福のために。