蟻は今日も迷路を作って

くだくだ考えては出口のない迷路に陥っている

満員電車空席探知能力者

 にはちょっとした能力があって、掲題にもあるように、空席探知能力である。     

 「は?地味か?」

 と、ギャルに怒られそうな能力だがしかし、これはなかなか重宝する能力である。

 これは何かというと、特に威力を発揮するのが満員電車で、私が前に立ったその座席は数駅後に空く、その座席を察知する、という都市生活を営む上で誰もが羨ましがる能力なんである。

 満員電車空席探知能力。

 打率は6割2分と言ったところで、こう書くとそうでもないようではあるが、『都市生活白書』(2012.白革社)によると、首都圏沿線における満員電車の45分以上の乗車時間で座れる確率は35%余りらしいので、私の6割という打率は「能力」と呼ぶに相応しいのではないか。『都市生活白書』なんて本あったら読んでみたいものだ。

 

 しかしながら毎朝毎晩の出勤時退勤時はこの能力は発揮されない。

 なぜなら、乗ってくるばかりで一向に降りないのである。行きも乗ってきたのに帰りも乗ってくるとはどうなっているのだ。異常だと言いたくなるし、当然な気もしてくる。漠然とした情動で生きている。自然派なのだ。

 能力が発揮されるのは、出かけたときや普段の通勤列車から外れたときである。いつもと違う列車に乗ったとき、6割の確率で私はすぐに空く席を見つけることができる。

 なにかコツがあるのだろうか?

 と言って、よく目を凝らすとか、苦草を噛んで念ずるとか、唾液と米で作った酒を煽り飲んで神懸かりになるとか、そんな無茶苦茶なことはせずに、ただなんとなく、の思いでいかにもあと2駅のうちに席を立ちそうな人の前に立つだけである。

 勘。

 言ってしまえばそれだけである。

 これは努力いかんによって取得される能力ではなく、天性の「才能」なのだ。

 全然座れない人は、残念だけど一生そのままなので、せいぜいドア脇の狛犬スポット」に体を入れるのに精を出してください。

 

 さんざん能力と言って自尊心を繕ったわけだが、先述のようにこれは結局、勘。である。

 この勘が当たるのが6割程度、というだけなんである。

 恵まれた運の良さではあるが、時に外れたときがかなり渋い。

 2時間弱立ちっぱなしで、最寄り駅の一つ手前でようやく座れたこともしばしば。外れるときは大外れなのだ。

 

 そうなってくると、これは、勘。と言うよりもむしろ博奕の様相を呈してくる。

 昨日は座れなかったから、今日は三つ目の駅で座れるはずだ……とか、昨日はのっけから奇跡的に座れたから、もう一週間は一度も座れないだろう……とか、まったく意味のない運命の探りを入れてしまう。

 

 書いてて急に馬鹿馬鹿しくなったんだけど、どうして私はこんなにも座りたいのだろう?

 ただ、電車で座れたとき、私は確信するだけである。

 ああ、僕は、座るために生まれてきたんだなって。

 

 格好悪っ。

 

 弁解しておくが、お年寄りや体の不自由なお客さま、妊娠中や乳幼児をお連れのお客さまがいらっしゃいましたら席を譲るのは気持ちの良いことであり、席を譲ったとき、私はああ、席を譲るために生まれてきたんだなぁと誇らしく思える。

 

 弁解したけど、むしょうに格好悪くて気味の悪い男だ。

 立つのは鳥肌だけで充分、といったところで今日はおしまい。