蟻は今日も迷路を作って

くだくだ考えては出口のない迷路に陥っている

服を買うべきだ その2

前回のつづき

arimeiro.hatenablog.com

 

  尊心と自己肯定感を取り戻すため、洋服購入を決心した私は過日、恋人と服屋へ赴いた。

 恋人を同伴する必要はないのでは?という意見もあるにはあったが、私にはどうしても彼女と服屋へ行かなければならない理由があった。それについてはその3あたりで説明したい。

 

  ↓

 

 私の自己肯定感の鎧を打ち砕いた件(くだん)のアパレルショップへ行き、ぷらぷらと服や小品を眺め歩く。

 私好みのものばかりで全部ほしいと嗅ぎまわって興奮するばかりでなく、この店に就職したいなとすら思えてくる一方で、さっそく自己卑下がはじまり「自分にはこれらの美しい服を身につけるなんて烏滸がましいことだ……店員の靴を舐めて赦しを請おうか……」などと考えはじめる。

 好みの服が目に付くたびに悲しくなる。

 枯れた花を見るように、巣から落ちた死にかけの小鳥を見るように、悲しくなるつらくなる。

 いっそになってこの世界を滅ぼしたくなる。笑いながら階段を転げ落ちたり国会議事堂に爆弾を仕掛けておきたくなる。得体の知れない液体をがぶ飲みしたくなる。

 

 そのように心が沈んでいったときに、恋人は私の手を握ってくれて、「ほしい服は見つかった?」とか言ってる。全部ほしい、と答える。笑ってくれる。それだけでちょっと安心する。

 じっさい全部欲しかったのだが、あらゆる理由がそれを阻害するので(主に金銭と社会の面で)、春の装いのジャケットを欲しいと決めた。麻っぽい布地のやや横幅のある春色のジャケットである。

 店に入ったときからそれには一目惚れしていて、店員に話を聞くと春の新作らしく、その日に入荷したばかりらしかった。

 

 運命的だ。

 

 試着してみると、今までの私とは違った印象を与えて、装い新たに、という言葉がまったく当てはまる。これ着てたら自尊心も自己肯定感も上がるだろうな。自分に自信を持てそうだな。試着して、春らしい希望が湧いてきた。

 だがそのジャケットを買うなら、中のシャーツやパンツも買わねばなるまい。私はこのジャケットに見合った服を何も持っていないのだ。

 というわけで良い感じのシャーツとパンツを選び、ベルトを合わせてもらった。

 いずれも気に入っている品々ばかりで試着しただけで嬉しくなる。

 ややオシャレすぎるというか、パーティでも行くんか、って装いになってしまったが、オシャレで格好がついてるならそれでいい。私には格好をつける必要がある。男はナルシストであるべきだ。

 

 しかし。

 

 私はこの時まですっかり忘れていたのだが、服を買うにはどうやら金銭というものが必要になるらしい。金銭と品を交換できるのだそうだ。資本主義ではそのようにして物を手に入れるのだという。ソ連から亡命したばかりなので知らなかった。

 で、値段を見て驚愕した。

 ソ連から亡命したばかりで……などと冗談を言いたくなるような値段だった。

 コーディネートしたひと揃えを買うと、10万円を超えたのだ。

 あの春色のジャケットが8万円以上した。

 

 頭がおかしくなりそうだった。

 

 そうなると服が欲しいのかもよくわからなくなってくる。頭に血が上り、お腹が空いてくる。目の前がぐらぐら揺れる。店員の話が間延びして不思議に聞こえる。ぶっ倒れそうだった。こんな高額な服を買うなんてイかれちまったのか、と心の中の自分が言う。

 

 だけど、10万円という値段は、決して買えない額ではない。

 自尊心恢復を願うならここで買ってしまってもいいのではないか。そう唱える自分もいた。

 

 心の中の天使と悪魔がそれぞれに囁く。

 どちらの言っていることも正しく、私のことを想っての発言である。

 

 考える必要があった。

 いちど店を出て、恋人と街をあてもなく歩き回ることにした。

 外の空気は冷たく肺に沁み込んで、その感覚だけが確かなことだった。あてもなく歩き回るとどこをどのようにして歩いてきたのか、その軌跡は人生のようにあやふやになる。脳みそは茹っている。すこし冷静になろう。

 恋人は言う。

「あまりにも高すぎるよ」

 その通りだった。

「あんな高い服着てどこに行くというの?」

 おっしゃる通り。

 だけど、特段オシャレでもない私が8万円のジャケットを買ったら、心の中の自尊心はかなり恢復すると思えた。なにも怖いものはなくなるんじゃないか。金の力である程度の心の恢復が見込めるのではないか。

「高すぎるよそれにしても。よく考えてよ。あのジャケットは、春と秋のごく限られた日にしか着れないんだよ?一年のうちで10回も着る機会ないんだよ?それに8万も出すの?8万だよ?」

 8万はでかい。

 だけど、8万程度か、とも思う。金銭感覚がこのとき既におかしくなっていた。8万円稼ぐにはどれだけ血反吐を吐いて労働せねばならんのか?それすらも考えられなくなっていた。

 街をぐるぐる回り、看板を眺め、往来の人々の振る袖もない縁に無常を感ずる。

 日陰の水たまりに鳩の羽毛が浮いている。レシートとか吸い殻とかゴミがそこらに転がっている。

 すべてが灰色に見える。……。

 

 8万はどう考えてもおかしいだろ。

 

 たとえば私が服飾マニアで日頃からオシャレしていて服をたくさん持っているというのであれば、8万円を買ってもおかしくはないかもしれない。金持ちの精神的余裕があるならいいのかもしれない。

 だけど私は服飾にほとんど興味がなく、できるだけ服を着ないで生きていたいな、とすら思っている人種。

 今の私には、自尊心自己肯定感云々の前に、8万円のジャケットを買うに価(あたい)しないし必要ないのではないか。

 もっと心に余裕ができたときに、自己肯定感の余裕を持てた証拠として、この8万円を買う方が健やかではないだろうか。

 「治療」のために買うなんて、効果も100%保障されているわけでもないのに、馬鹿げている。

 

 街の冷たい風が頭を冷やしてくれた。

 もう頭は茫(ぼう)としていなかった。自分がどこを歩き、これからどこへ向かうべきか、はっきりしていた。灰色だった街に色がついた。

 

  ↓

 

 このようにして私は、シャーツとパンツとベルトを購入できた。

 

 

(その3へ続く)

服を買うべきだ その3~靴編~ - 蟻は今日も迷路を作って