蟻は今日も迷路を作って

くだくだ考えては出口のない迷路に陥っている

魔界の花屋

所にある花屋は寂れてる。

角地に建てられたそれなりの広さのある煉瓦造りの店で、軒先の看板には「贈答に…」などと文言と共にパステルカラーで店名が書いてあっていかにも昭和らしく、かつての盛況を思わせる。

店の正面には、花、と呼べる類の植物はまったくなく、植木鉢から溢れんばかりに生い茂った熱帯の草や、根塊を鉢の底から露呈させているグロテスクな小型の樹木、気の狂った老婆の毛髪のように茂り散らかしているのに萎れている植物、などが並べられている。

並べられているというよりも放置されている。場合によっては並べられていると解釈されることもあるだろうが、放置されている、捨てられている、と言った方が一般的だろう。

道路沿いの店の脇にはさらに悲惨な状態の、植物の成れの果てみたいなものが鉢ごと土もそのままに捨てられ公道を侵食しているので、本来であれば行政によりなんらかの対処を施行すべきなのだが、ひとまずここ数年のあいだは、店主が散乱した植物を無視するように、行政も街の人もこの花屋を放置しているのだろう。

店の裏口とおもわれる二階へ上る外階段にも鉢が所狭しと並べられ、暴走した根が上から垂れさがって、なんだか魔界の森のようになっている。

花屋の入っているビルがおそらくその花屋の所有するものなのだろうが、テナントも入っていないし住民もいそうにない。階段が魔界の森なのだから当然だ。

 

花屋で花を買うのはやや難しい。

どの花を贈ればいいのかわからないし、組み合わせが難しいし、値段も割高なので、初めて花を買う場合は店員に値段と用途を告げて任せてしまうのがいい。

この魔界の花屋では、また別の花を買う難しさがある。

まず店に入れないのだ。一見の店に入るにしてはハードルが高すぎる。正面の入り口(あるいは霊気のまろび出る箇所)は開いているのだが、店員の姿が確認できないし、中は薄暗いなんてもんじゃなく正真正銘の「闇」で、たぶん店に一歩足を踏み入れたら帰ってくるまでに最低9日間強の冒険を強いられることになるだろう。

その入り口に至るまでにも、軒下から植物が生え盛っていて、もはや入り口は開いているのではなく、閉じれないだけなのではないかとすらおもわせる。

と、店をしげしげ凝視めていると、古木のような翁が店頭に出て来て、鉢を動かしたり動かさなかったり腰を伸ばしたりまた背を丸めたりした。

店主だ。

バイトなわけがない。

いちおう、店は開店しているらしい。

店主は直射日光に顔をしかめると、なにやらいじっていた魔界植物をそのまま店頭に放置して(陳列、と解釈もできる)、闇の奥へ姿を消した。

 

花を買ってみようか。

恋人に贈ろうか。

 

ふと思い立った情念に、しかし迷いなく「却下」の判を押して、私はその場を後にした。

 

あの無気力な老人と荒廃した店と、パステルカラーの看板を見ていると、何とも言えない胸のざわめきを覚えて──それは悲しみと言うにはまだ言葉が足りず、不安と言うにも覚束なく、淋しさだけでは客観的で、憂いと感傷でも言い表すことのできない──気分が悪くなり、無性に酒を飲みたくなったし、死んでもいいとさえ思えるような気持になった。

速足に歩いて、汗を拭いもせず、ほとんど一目散に、家へ帰った。

 

きっと、昔は繁盛していたのだろう。

あの看板のパステルカラーが色褪せていなかったのだろう。奥さんと切り盛りしていたのだろう。みんな花を買っていたのだろう。仕入れた植物が道路を侵食することなんてなかったのだろう。

 

酒を飲んだ。酔いがなかなかまわらない日だってある。