蟻は今日も迷路を作って

くだくだ考えては出口のない迷路に陥っている

『DEATH NOTE』をイッキ読みした

『DEATH NOTE』をイッキ読みした。

中学生くらいの頃に全話読んだのだが、10年前となれば記憶があいまいで結末しか覚えておらず、推理や駆け引き、つまりは頭脳戦といった作品の醍醐味の部分は忘れていたので、時間もあることだし、2日間に分けて一気呵成に読了した。

漫画とは思えない文字数で、それなりにヘヴィーではあった。

 

10年前に読んだときは話の内容が難しくてよくわからず(何度読んでもほとんど理解できていなかった)、作品を十全に楽しんでいたとは言えなかった。

24歳となった今……物語後半の主人公・月(ライト)くんと同年齢に達した今なら、内容がよくわかるんじゃないか。そうおもっていた。

そうおもっていた。と書くだけで次の段落からの展開が聡い諸君であればわかることだろう。拙(せつ)の思考が読めることだろう。

 

いや、あのね、ぜんぜん理解できなかったわけじゃないんだよ。弁解させていただきますとね。

じゃあストーリー展開や各所の会話が何を意味しているのか他人に説明できるくらい理解できたのかと問われると、首を横に振ることになる。そんなことができるのは数学者くらいだ。

理解度は、そうですね、100%中、68%(当社比)、といったところでしょうか。

とはいえ、10年前は32%ほどだったし、拙はこれを10年ぶりに一度読み通しただけなのですから。まぁ、そこらの凡夫と変わらないでしょう。無論、何度も繰り返し読めば等比数列的速度で作品を理解できることとおもいますよ。デスノート学者にでもなれましょう。

 

理解度7割にも届かない者が作品に対してどうこう言えるものではないのだが、理解度7割未満の者でもわかる作品のおもしろさ、があって、「なんかよくわからないけどスゲェ」というある種の「スゴ味」を読み取らせる力がこの作品にはある。

そういうところは『ジョジョ』と似ている。『ジョジョ』も意味不明な場面が多々あり、何度読んでもよくわからなかったり、読者の意見を見ると各々解釈が違っていたり、前後の設定の整合性が取れていなかったりして100%の理解に至ることはかなり難しいが、それでも読者に読ませ、「おもしろい」とおもわせる説得力がある。それは「スゴ味」によって裏付けられるのではないか。

そして「スゴ味」を出す具材は画力によると、私は考える。

 

漫画論をするとき、つい内容ばかりを論じてしまいがちだが、漫画とは「画」、つまり絵が主体となるものであるから、絵による表現や描き分け、線の質感まで含めて論じるべきものである。

漫画論において、絵について語ることは、舞台の演出を語ることや、小説の文体に言及することと同じであり、作品の内容に直接は関わってはこないけど、作者の意図を探るうえで重要なファクターになるものであろう。

 

では、『DEATH NOTE』の「絵」のどこが良かったかというと、表情の描き分けが特に優れていた点だ。

精緻で圧倒的な画力が表情のリアリティに説得力を持たせている。これはもう、小畑建さんにしか描けない画だった、とおもわせるほどだった。

緊迫感、焦り、楽観、安堵、殺意、悪意……さまざまな感情を、文字の多いこの作品において、実は言葉ではなく表情によって表現している場面が多い。

原作者の小畑さんへの信頼がわかる。

 

圧倒的画力によって描き出される、ファンタジーサスペンスのリアリティ、それこそが読者を作品の温度感に引き込み、「スゴ味」を植え付けている。

 

 

なんて偉そうに書いたけど、所詮は理解度68%(この数字も怪しい。等比数列的速度で内容を忘れていってる)の拙の言うこと、ふぅ~ん、ま、ちょっと読んでみようかな、程度に思っていただければ多幸なり。