蟻は今日も迷路を作って

くだくだ考えては出口のない迷路に陥っている

いつものトトロじゃない

晩は『となりのトトロ』を視聴した。

たぶんちゃんと観るのは10年ぶりくらいで、だけど幼少期にビデオテープが擦り切れるくらい観たので、そこに懐かしさというものはなく、どうせいつものトトロだなぁという心づもりで観始めたのであった。

そうそう、隣の森にトトロがいんだよナ、ははは、とか笑いながら観ていた。

どうせ死ぬほど観たんだから途中でチャンネルを変えるかもしれないなぁ、とかおもってた。

 

だが次第にこの作品に抱く印象は「いつものトトロ」ではなくなっていき、結局最後まで食い入るように観たのであった。

 

昔観たトトロと今観たトトロのなにが違うのか?

小学生時分観たときに、どういう感想を抱いていたのかどういう印象を持っていたか忘れてしまったが、少なくとも「子どもたちみんな可愛い」という感想は持たなかったとおもう。

とにかく子どもが可愛かった

さつきちゃんが頑張っててとても偉いこと(責任感が強くてお母さん代わりにならなくちゃいけなくてでも本当は甘えたいんだなぁ)、メイちゃんが4歳児らしくグズったり喚いたりするけど素直で元気なこと、カンタが小学生男子特有の照れ方をするけど優しく男気のあること、などなど、視聴していて子どもたちが可愛く、ひとつひとつの身振りやセリフに目を奪われてしまった。

トトロも可愛いのだが、トトロと一緒にいるときの子どもたちがいちばん可愛い。

トトロから貰った木の実を植えて背伸びをすると樹になるシーン、なんでしょうね、なんていうか、最高ですよねあそこ。

トトロのお腹にくっついて夜を飛ぶシーンを観て、小さい頃は本当にいつかトトロに会えると信じていたことを思い出した。私だけじゃなく、周りの友だちもトトロに会えるんだと信じていただろう。

サンタクロースはいないとわかりながらも、サンタクロースはいるということを信じているのと同じくらいの感覚で、トトロはいるんだ・いつか会えるんだと信じていた。

子どもの時にだけトトロは見えるのだ。

結局トトロには会えなかったな、とおもってしまった瞬間、私は大人になってしまったのだなあ。

だけどいつか自分も子どもを授かったときに『トトロ』を観せてあげたら、子どももきっとトトロに会えると信じるだろうし、私は「トトロにいつか会えるよ」と教えてあげるだろう。

 

 

トトロに関する都市伝説とか考察とかはネットを探せばいくらでも出てくるものだけど、今更ながら無粋な楽しみ方だなぁとおもった。

トトロの物語の真実はスクリーン上に表れたことがすべてだ。

論理性はなく、意味が不明なこともあるけれど、起こった事実がすべてであり、夢だろうがメタファーだろうが、さつきとメイの経験したことが真実で、映画を観た子どもたちの心に残った憧れや共感がすべてなのだ。

 

あらためて宮崎駿の観察眼の鋭さにも驚かされた。

それを踏まえて久しぶりに見たこの映画はトトロを愛でるものだけではなく、それ以上に、「子ども讃歌」の映画なのだと気付かされた。