蟻は今日も迷路を作って

くだくだ考えては出口のない迷路に陥っている

なんの価値もない夏

暑が続いている。

東京の酷暑は悲惨だ。なんというか、精神的に涼むものが無いのだ。

自然のある山がなく、海もなければドブ川しかなく、近所の池は白く濁って泡立ってる有様で、この池に入ったら間違いなく皮膚から細菌や寄生虫が入り奇病に罹って眼球が溶けて死ぬであろうことが確定している。

世田谷に等々力(とどろき)渓谷という清流のある谷があって、そこは気分的に涼しげではあるけれど、森があるとはいえ結局は東京23区、完璧に整備されていて「人工」の気配を払拭しきれない。

山や海やきれいな川があれば、たとえ暑くとも精神的な清涼を得られるというものだ。

じっさいには海や川で涼めることはなく幻想で、果てしなく暑くて日差しがヒリヒリするものだけど、なにか精神的に涼やかというか、「ちゃんと夏を楽しんでいる」暑さを味わえるという点において心に余裕があり、この暑さに恨みや忌憚や憤怒の情を抱かないでいられるのだ。

だから東京の酷暑は悲惨だ。

山はなく、海はなく、川は汚れ、池は泡立っている。

どこもかしこもコンクリートで覆われて、アスファルトの反射熱が身体を内側から弱火でじっくり焼いていく。

せめて緑のある屋上にパラソルを広げてクリームソーダでも飲んで昼寝をしたいものだけど、やはり幻想。

それらの幻想を打ち砕くほど、この夏は暑い。

海や川があっても外出しない方がいい。ほんとうに死んでしまう。

 

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お盆休みはほぼ一日中家にいて、外出といってもスーパーに買い出しに出るくらいで、涼しい部屋で口を開けて過ごしていた。

恋人と家事を分担しておこない、午前中には終わって、昼食後はアマプラで映画を観たりアニメを鑑賞し、夕食を作って、酒を飲んだら一日が終わる。

引っ越しをしてから読書の時間が減ったので、なにか読みたかったのだが、なかなか読む気にもなれない。読む環境を作りにくい、というのもある。

 

どこかへ遊びに行きたいけど、この暑さだし、なんらかの病気?が流行ってるっぽいし、車もないし、よく考えたらとくに行きたい場所もない。でもバカンスへは行きたい。トロピカルなカントリーへトゥギャザーしたい。

なんかこう、わだかまる一日を過ごして、消費して、お盆休みが終わっていく。

社会人の夏に、学生時代ほどの価値はない。せいぜい10日前後の休みが得られるというだけだ。

 

灼熱の太陽光がベランダに降り注ぐのを横目に、このブログを書いている。

ああ、なんの価値もない夏だ。

なんの思い出もない。

2020年のすべてが、どうやらそうなりそうな予感。歴史的に忙しく、記念碑的に退屈。