猫は世界を救う!みたいなツイートを見ると、いや、救わねぇよ、とおもう。
誰かがそんな旨の発言をしていて、まったくその通りだと頷いた。
猫は可愛いけど、なんかそこまで信奉するほどのものではない。世界は救えない。せいぜい個人の精神面を救うくらいだろう。犬とて同じだ。
多くの偉人が猫を愛でたのに、世界は救われるどころか緊張が高まっている。
なんか、猫派の一部の人間の、そういう、押しつけがましく、猫は可愛いんです!神なんです!という姿勢が嫌だ。
猫が好きな自分を好きなだけでは、とさえ思えてくる。私は意地悪だから。
犬派か猫派か、という話題がある。
両方飼ったことのある私は、犬と暮らした時間の方が長いし、心も通じ合っていたので、犬派と答えるけど猫が嫌いなわけではない。
どちらもまったく異なる魅力があり、似たような魅力があり、どちらもいいなぁとおもうものだ。
以前一緒に暮らしていた犬は、なんだか猫みたいな性格のやつで、犬然としたところが薄く、体をぐにゃりと曲げて寝ていたし身軽に椅子に跳び乗ったり、甘え方が猫のようであった。その甘え方というものが現在飼っている猫と同じなのだ。
見た目は犬、頭脳は猫。
おそらく前世は犬ではなく猫だったのだろう。
頭脳が猫かどうかそれ以前に、ちょっと工夫の足りない脳みそだったらしく様子がおかしいことが多々あったので、その誤差によって猫の要素が色濃く現れていたのかもしれない。なんにせよ可愛いやつだった。
高校生の頃、犬派か猫派かというテーマで、クラスでディベートをしたことがある。
私はくじ引きで犬派になり、論を展開するためにさまざま調べ事をした。主に、捨て猫と捨て犬の数、年間の殺処分の数を調べた。
細かい数字は忘れてしまったけれど、どうしてこれが社会問題にならずに命を消耗品として扱えるのだろう、と人間の悪意を表したような数字だったことは覚えている。
とてつもない数の犬や猫が保健所で殺されている。
犬派か猫派かなんて言ってる場合じゃないな。
猫も犬も人間に飼われることがもはや「野生」と言ってもいい状態。とくに犬はそうだ。
人間がコントロールできる命だからこそ、責任は人間にある。
最後まで責任をもって飼う、という言葉の最後とは「最期」のこと、つまり「死」だ。そこまでが人間の責任なのだ。人それぞれに事情はあるだろうが、責任を持つならもっと慎重にならなければならない。
ようするに何を言いたいのかわからなくなってしまったが、猫も犬も世界を救うことはできないし、世界を滅ぼすのは人間だということで話を結ぼう。