生まれ変わって、魚になったとする。
魚に生まれ変わった場合、水族館への転生はできれば避けたいところだ。
だってそうだろう。あんな狭い水槽に入れられてさ、窮屈な思いして一生を終えるなんてさ。
海に生まれれば、海のすべてのフィールドが自分のもの、テリトリーになるんだ。それなら海に生まれた方がいいやい。
私は水族館の水槽の同じところをグルグル回っているサメを見ると悲しくなるんだ。憐れだ。人生の愚かな部分のすべてを見せつけられてる気分になる。
海に生まれた方がいい。
と、思ったものの。
海には数えきれないほどの脅威があり、数千から数万個生まれた卵のうち成魚となって繁殖に成功するのは、確率的にはほとんど宝くじに近く、よっぽど人間に生まれて管理職を目指すほうが楽だと気付いた。
また、海のすべてがテリトリー、などと書いたが、人間だって陸のすべてがテリトリーであるものの、実際そうかと言うとそうではなく、生きるには厳しい環境が存在し、立ち入り禁止の土地があり(皇居など)、なによりも社会の枠組みに人間は規定されるのでどこへだってすぐに行けて生活できるわけではない。また、その金も無く時間もない。
魚だって同じだろう。
すべての海へ行くにはいろいろと制限もあるだろうし、時間も体力もない。あらゆる脅威にさらされ、基本的に魚として生きていることが危険である。
と考えると、狭いし過密ながらも、餌と繁殖と寿命が約束される水族館の魚として生まれた方がいいではないか。
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ぜったいにその方がいい。
人間に観察されるが、逆を言えば人間を観察できるではないか。
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では、どこの水族館に生まれるのがいいだろうか。
私だったら、JR新宿駅東南口にあるドン・キホーテの通りに面した店頭に設置されている水槽がいい。(水族館じゃないじゃん)
あの水槽のウツボになれば、あまり退屈しなくてすみそうだ。いつ見ても綺麗な水槽だし(少なくとも私があの前を通るときはいつも綺麗にしてある)、魚類も豊富で管理が行き届いているように見える。
なによりも新宿の通りに面しているのがいい。人間観察をするうちに魚類的になにかを悟って境地に達することができそうだ。
また、人々は魚になんてほとんど興味が無いので(新宿を歩く人間が魚に興味を持つわけがない)、どちらかというと観察は魚→人間の一方通行的なものになるだろう。
あの水槽のウツボになって、口をぱくぱくさせながら、岩穴から世界を眺めていたい。そのうち餌だけを食べ続けた私は岩穴から出られなくなって、往来を行き来する人々をいかにも醜い生き物だと罵りつつも、羨ましいっ、と静かに痛く泣くのだろう。
まるで『山椒魚』の世界だが、断食して岩穴から出られたとしても私は愚かなウツボに過ぎず、ときたま水槽をぬらりと泳いでは往来で客寄せをする居酒屋のアニキを驚かせることしかできないのだ。
やっぱり普通の水族館の、大水槽のウツボがいい気がしてきた。
そのほうがいい身分だ。
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ちなみに、最も生まれ変わりたくない水族館は、アートアクアリウムの金魚である。